2008年12月31日水曜日

最後ッ屁



去年の暮れの神社。毎年でるただ酒をこうやって火を眺めながら何杯もおかわりするのです。
よぉ〜し、今年も行くぞぉ。

今年あった事を色々書こうと思っていたのに。

来年はまじめに取り組むぞぉ。

2008年10月17日金曜日

酒池肉林



通ってるクラブ恒例の冬イベント。
ポスター作ってよ。
あいよッ!

最後の言葉に意味込めたんだけど
みんな誰も選んでくれなかった。
ボツッちゃかわいそー

なんでここに登場。



久しぶりに書きます。
結構、倦んでいた状態から抜け出せそうです。
まだ、わかりませんが・・

小松空港のある石川へ出かけました。
しみじみと空の高いところ
都会の喧噪もなく
会った人たちもタンタンとしている
そんな場所
夜の酒が美味かった
なんという酒か忘れたんですが・・・

そこのお店独特でカラッとサッパリ
ぐいぐいいけちゃう

おかげで、はめはずしすぎ

地方は人と酒を育てます。

2008年7月13日日曜日

視点


右にいるあの人は何を考えてるんだろ。
左にいる人はどんな不安を抱えてるんだろ。
真ん中にいる集団はどこをみて仕事してるんだろ。

一点を見据えて造詣を深める
広い視野を持って物事を考え抜く

相反する真理がぼくを惑わす
最近、期待感を持って過ごしてきた時間が・・・
オワッタ。

こころの反動は大きい。

視界が広くてしかもオールピン。
どーなんだろうねぇ。

2008年5月27日火曜日

人間は爆発だぁ!



ある先生が言っている。
生物はもともと地球上にあったものではなく無生物からできたものである。
無生物からできたものであれば物理学及び化学の方法論で解明できる。
要するに生物は非常に複雑な機械にすぎない。
生命の神秘性はない。神秘とは要するに理解できないという事
人間の精神現象も含めて、生命現象は全て物質レベルで説明がつく。


真理は外から与えられるものではない。もともとその人の内部にあるものを自分で発見するだけだ。

言語道断


久しぶりッです。
ちょっと小宇宙を旅してたもので。

「言語道断だ」などといえば
「もってのほかだ」「とんでもないことだ」「あきれてものがいえぬ」
などと、たいへん手厳しく判断する言葉として、使われていますよね。
しかし、
この「言語道断」という言葉は、もともと仏教語で、
「さとりの境地や真理の世界は、
言語や文字ではとても表すことのできないほど、
奥深いものである」
という意味なんだそうで。

じゃ、「あの人は言語道断な人だ」と言ったら、怒った時に使うんじゃなくて尊敬する場合に使ったりするんですね。

そういえば僕も陰で言語道断だ。と言われていたような・・・気がするなぁ。

2008年3月3日月曜日

ポスター


上のポスターの横に
下の谷川俊太郎さんのコピーがついたら
俄然、そうだ!と思うアタシッ!


鉄腕アトムの詩も谷川俊太郎さんだと知ったアタシはダツボー
やっぱりすごい人はすごい

2008年2月29日金曜日

わたし的には・・よろしかったでしょうか


新語・流行語大賞のトップテンに選ばれた「わたし的には…」
「~のほう」「~みたいな」などと同じ意味らしい
「~だ」「~です」と言い切らない
「~としては」の意味で、「~は」をぼかした表現
みんな言い切りたくないんだろうなぁ
「わたしこう思う」
「・・・だとぉ」

バイト敬語というジャンルが確立されつつあるな

お席のほうにご案内します
こちら、ラーメンのほうになります
お待ちいただく形になります
1万円からでよろしかったでしょうか
1万円からお預かりします
メニューになります→イオンCM中での使用が指摘され
その後「ございます」に訂正された

客:これください。
店員:1,000円になります。
客:はい(1,000円出す)。
店員:1,000円お預かりします。
客:いつ返してくれるんだい?
と言わせていただく形でよろしかったでしょうか

わたし的には
公衆電話のほうは残す形のほうがいいという事でよろしかったでしょうか

2008年2月28日木曜日

コトバ


山洗う
山装う
山したたる
山眠る

花の雨
花な雨
私雨

風薫る
風光る

その方との会話の中にいくつも出てきた美しいコトバ

ビール飲んでる場合じゃない・・・が
ビールがおいしい。
あの・・・このような場合はどういった表現が美しいでしょうか
「はらはらと心に雨が降りつもる」
・・・でいいでしょうか、先生。

2008年2月27日水曜日

ガス灯


ロマンチックなガス灯
映画の別れのシーンで見かけたような・・・
「ペペルモコ、行かないで」
「君とはもう会えない・・」
「なぜ?」
なんてセリフがあったかなかったか

ペペルモコ主演の往年のフランス名画「望郷」はアルジェが舞台
映画で有名になったホテル・アレッティ

ここ、仙台のガス灯数は110基、全て英国製、自動点灯装置付きだそうだ。

現代の灯りの中ではガス灯の灯は目立たない。
実際ガスを引いてるんだとか

「んな事言ったってさぁ、ちいい〜とも目立たねッつうの
こおんな事すんだったらかじかの鳴く広瀬川にでも設置してくれッつ〜の
全く市のやるこたわかんねぇ」
とおっしゃってた方の言葉が印象的でした

ガス灯のはかなさがいいんだけどねぇ

地方もやっぱり疲弊してました。

2008年2月24日日曜日

エアー


テレビはネットでDL課金
HDDはフラッシュメモリーに
外ではモバイルコンピューティング
ちょっとした用事、買い物はモバイルで済ますようになり
移動時の持て余し時間が「可処分時間」(これは本に書いてあった言葉)になる
本もモバイルで読んで商品もそのまま買える
全てはワイヤレスでつながって
まさに「エアー」

クラウドコンピューティングの世界

ダ・ビンチ


Da Vinciは「ヴィンチ村出身」という意味
彼のフルネームはLeonardo di Ser Piero da Vinci(ヴィンチ家出身でセル・ピエロの〔息子の〕レオナルド)
などと、ある事から興味本位で調べていましたら
兒島喜久雄さんという白樺派の画家、美学・美術史の研究者の方が
日本のレオナルド・ダ・ヴィンチの研究の第一人者だとありました。
岩波新書の表紙に描かれていたランプや、
本扉の四隅を飾っていた風を吹きかけあうギリシャ神話の風神の図柄は彼の作品だそうです。
元東北大学助教授にして東京大学教授でもあったそうです。
墓標の傍らには
レオナルド・ダ・ヴィンチに因んだ文言を刻んだ碑が建っていると書いてありまして・・・

見に行きました。
それがこれ。

Cosa bella mortal passa e no darie Leonardo
Googleで翻訳したら
「致命的なパスとはどのような美しいダリエ」と出ましたが
あたしには意味不明ッ!

誰か意味わかる人教えてちょ〜だい!

2008年2月23日土曜日

クラウドコンピューティングのはじまり

気象学的にはクラウドと言えばクラウド クラスターという、梅雨末期の集中豪雨時に現れる積雲群で構成された巨大な雲の塊だそうだ。
ネットワーク上にアプリケーションがあり個人のデバイスは
「クラウドコンピューティング」(cloud computing)への移行だ。そこではアプリケーションもファイルもすべて中央のスーパーコンピュータに保存されることになる。すなわちネットワーク上に保存されるということだ。エンドユーザーは自分のファイルにアクセスするのに、現在使っているような高度なコンピュータではなく、もっとスリム化したマシンを使うことになる
最近出た MacBook Air こそ cloud computing device だと Chris Pollette は考える。たしかに MacBook Air は上述のクラウドコンピュータの特色を備えており、その視点からすれば「Something in the Air」の意味もハッキリするように思える。

また、MacBook Air だけでなく iPhone だって cloud computing device のひとつと考えてもおかしくない。

個人的には、超小型ウェブ端末(iPhone より一回り大きい)への期待がまたぞろ頭をもたげてくる・・・

2008年2月20日水曜日

冬来たりなば


「冬来たりなば春遠からじ」

苦境を耐えぬけば、やがて幸福・繁栄の時期を迎えられるという
イギリスの詩人シェリーの「西風に寄せる歌」の一節

朝の来ない夜はない、んですな。きっと。

それにしてもすっくと立っている三本の木は美しい。

2008年2月19日火曜日

もやもや「心もよう」


あの錯視看板がついに変わりました。
一説によればこのブログを見た人が進言して担当者がこりゃいかん!と。

そのようにして差し替えた話は一切なく、ただある日変わったと。

いつ変わるのかいつ変わるのか・・・
ただひたすら待ち続けていたので更新が出来なかったのです。
ま、単なる言い訳ですが。

これでスッキリ!
さ、明日からは気兼ねなく。
見ろ!未来は輝いているぞ!

2008年1月12日土曜日

思い込み

思い込みと錯視は一緒なんでしょうか。


へリング錯視


ポンゾ錯視


ツェルナー錯視

これはいつも通る道にある看板です。

工事中につき「休工中」出来ません。
へぇ・・・と思いながら読んでました。
一瞬、目に入るこの文字は、いつもほんの少しだけ違和感が漂ってました。
「休工中」って何だっけ。
休講?急行?休校?

その日も考え事しながらこの看板をちらり。

わかった。
工事中につき通行できません。がオリジナルだぁ。
今、工事を休んでるんだぁ。

今頃わかる・・・とほほなわたし・・・

2008年1月9日水曜日

進化論


「進化」は、単に事実を記述する語に過ぎないのであって、
それ自体が価値判断を含むわけでない。
その意味で「進歩」とは異なる。
にもかかわらず、進化と進歩の混同、事実と規範の混同はしばしば見られ、
後述するソーシャル・ダーウィニズムもその誤解の産物であった。

ふむ、よくはわからんが「進歩」しなきゃいかん、という事か。

久しぶりの友人と会った。進歩していた。明るく強かった。

生活力が増していた。
何をやってでも養います!オーラがかっこよかった。

乞食とお坊さんの違いは何だろう。
「食いもんくれ〜」と「寄付は浄財です」の境目は理念か。
やっぱ、顔だな。お坊さんかっこいいもん。

僕もあの心境に達したいが、進化と進歩くらい難しい。