2007年5月24日木曜日

含羞


その頃有名なコメディアンがいて、当時の上司は彼のファン。理由は単なるコメディアンじゃなく「ハードボイルド」だから。なるほど決めのコントも「○○だどッ」だったような。上司は彼をCMに引張り出したかった。クライアントは了解していた。僕はそれを受けてくどくために新宿ゴールデン街へ足を運んだ。店の名前も有名なハードボイルド作品からの引用だった。下準備が周到だったのかあっさりと承諾してもらえた。カーワックスのCMだった。後日スタジオに古いアメ車を入れ込んで割と大仕掛けな撮影が行われた。彼が言う決めのコピーは忘れてしまった。あの頃感じていた違和感は何だろう。「こ」様風に言うと「おとこの悲哀と憂愁」はあった。だが「含羞」がなかったように思う。たかがCMだ。そこまで求めていたわけじゃない。上司とタレントのコンビネーションは他を寄せ付けない独特のものだった。「今のいいですねぇ」そういう空気に僕は辟易していた気がする。
(閑話休題)
「生きる」は「晒す」だ。「含羞」は「道理」だ。人の本質は接してみないとわからない。いや接してみたらわかる。そして多くは「目」がそれを物語る。

上司はその後、一部に熱烈なファンを持つプロの作家になった。ジャンルはハードボイルドだった。

「こ」様に教えてもらった作家の小説にのめり込んでいる。含羞がわかる年令になったのだろうか。いや緻密さに引かれているんだろう、きっと。

2007年5月22日火曜日

「シリウスの道」


「余人にはわかりゃしない世界だよ。」
「こ」様に言われて本を読むハメになってしまった。いや読みたい本と出会わされてしまった。『孤独なおとこの悲哀と憂愁と含羞をたっぷりと』という「こ」様からのメールは、その作家の死を伝えるものだった。その作家の著作は一冊しか知らなかった。しかもそのタイトルに全く興味が湧かなかった。突然の「こ」様のメールの文面は、一も二もなく僕を本屋に走らせた。それほど魅力的だった。もし小説書くんだったらこのテーマ描きたい。と思ってたストーリーがそこにあった。筆の運び、展開、会話、舌打ちしてしまった。同時に記憶をこんなにもリアルに呼び戻してくれる小説も珍しい。

脳みそがあらゆる具象を理解できなかったら生き残れない世界(それは濁だろう)なのに、表現ではここまで?と言う位突き詰めないと生まれない世界(それは清だろう)が確かに存在する世界を見事に描いてる。広告屋はこんなにも悲しいんだ。最後の虚無感がまた見事だね。余韻をたたえた終わりがまたいいね。こんなに一気に読んでしまうのは、久しくなかったね。

1+1を3にも4にもする妙。
またマイナスする意。
幻想を客観に見せる即。
無を有に見せる答。
すべてがたぎる、ほとばしる。熱に浮かされたような作業。広告屋の芸当をまぁよく見せてくれてます。好きな世界を作品に昇華させる構成と筆力と太い骨格に、失われたダイナミズムを感じてしまった。考えてみれば今は皆が凡庸になっているのかも。
やがて最後に、広告屋には著作権ひとつもたらされない。悲哀・・・憂愁・・・含羞・・・。その事に気づくのか、わざと気づかないのか、あ、いつの間にか自分に全く重なってしまった。う〜ん、僕は当分打ちのめされそうだ。「こ」様には読む順番まで教わったぞ。さてどこへ行くんだろう。素晴らしい作家を教えてくれた「こ」様よ。もっと色々教えておくれ。

きっと続きを書きたくなるかも。