2009年11月27日金曜日
セバスチャン・サルガド2
東京都写真美術館に電話
12月4日のアフリカナイト(30席)は空いてないですよね。
渋谷区立加計塚小学校で開催されたという「セバスチャン・サルガド講演会」も
もちろん行ってないが「アフリカナイト」というコトバが妙に行きたい気分になります。
(「セバスチャン・サルガド講演会」は次いつあるかもわからないという貴重なものだったらしい。)
美術館の担当の方に明るく「あ〜、ございませんねぇ。」
ますます見に行く決意が固まりました。
まだ行ってなかったのって・・・
2009年11月26日木曜日
目は口ほどに・・・
2009年11月25日水曜日
セバスチャン・サルガド
何ですか。悲しみに満ちたこの写真は・・・
「お前、東京都写真美術館行ってないの?!」
「アフリカだよ!エッ見てないの?!」
「サルガド知ってるよね。サルガド・・セバスチャン・サルガド・・・」
久しぶりで会った人に言われ、
「し、知りませんッ」
(何て知らない事が多いんだろうと情けなくなります)
「あのモノクロを見なきゃだめだよ」
ヒッ、ヒジョーに記憶に残った話なので手帳に書き留めて調べました。
サルガド氏は1944年ブラジル生まれ。サンパウロ大学で経済学修士を取得、
その後パリ大学で農業経済学博士課程を修了してロンドンに本部を置く国際コーヒー機関に就職。
そこからアフリカへ調査に派遣され、そこで写真を撮り始める。
1970年代半ばに仕事を辞め、パリでプロの写真家に。彼の写真の原点はアフリカ。
大きなテーマを決め、何年もかけて緻密に取材、写真集にまとめるのがサルガド流の仕事の仕方。
1980年代のサハラ砂漠の南、サヘルの干ばつによる飢餓を取り上げた写真集「サヘル」は世界中に大きな衝撃をあたえた。
その後世界の労働者を取り上げた「WORKERS」でも、
移民や難民など地球上を移動する人びとを取材した「EXODUS」でもアフリカは重要な舞台として登場。
30年を経て写真家は最後の大きなプロジェクト「GENESIS」
サルガド氏は、世界各地で精力的に撮影を続ける一方で、
日本でフォトドキュメンタリーの世界や技法を伝える活動を、2003年から続けている。
日本写真芸術専門学校の名誉顧問として、サルガド氏自らが撮影に出かけるワークショップを実施。
特別講義は、同校の在学生に加えて、一般の人にも一部門戸を開放。
講義を聴きたい。
サルガド氏が使うフィルムはトライX400。
320で撮影すると書いてある。(本当はどうでもいい事ですが)
それにしてもモノクロは美しい。
12月4日は「アフリカナイト」らしい。
2009年11月24日火曜日
銀座線不通
休み明けの今日。
銀座線渋谷三越前間が不通でした。
理由は赤坂見附駅で線路内点検。
すぐ動くだろうと10分ほどホームで待っていました。
動く気配ありません。
電車に乗ってる人、ホームで待つ人どんどん歯抜け状態になっていきます。
いつも騒々しい渋谷駅がシーンとしていて思わぬ時間の拾い物のような気分です。
「過ぎてゆくのは時と風です」
イイチコが光って見えます。
待ってる人々、電車の中の人々がいい機会だとばかりにわりと穏やかな顔してます。
後何分すれば再開するのでしょう。
いま30分経過しました。人間心理。30分過ぎてみんな気もそぞろになってきました。
だいぶ 人 少なくなりました。
こうなればホームで仕事しますか。
「もしもし、お元気ですか。」
2009年11月23日月曜日
何かはまりそう
2009年11月22日日曜日
デフレ宣言って・・・
デフレって何だっけ。
デフレって宣言するのか・・・
「デフレとは、お金の価値が上がり、相対的にモノの値段が下がることをいう。
モノの値段が下がったからといっても、
通常、人は必要以上にモノを買わないので、
モノが同じ数だけ売れても、販売価格が下がれば企業の売り上げは落ちていく。
企業業績が悪くなると、経済活動全体が元気をなくし、経済が縮小していく。
全てのモノの値段が比例して動けば、問題はないが、
現実はそうではなく、物価の下落に追いつけないものが出てくる。」
写真のミニチュアは数万円します。
どうしてもバードウォッチングをしたい人はスワロフスキーのフィールドスコープが欲しいそうです。
何十万かします。
ニッチだけど確実にあったマーケット
もうそんな世界はなくなるんでしょうか。
人間が人間じゃなくなっていくみたい。
登録:
投稿 (Atom)