2007年9月12日水曜日

ホテルカリフォルニア



(飛行機、二機いるんですけど小さくてわからない?)

暗く寂しいハイウェイ

涼しげな風に髪が揺れる

コリタス草の甘い香りがほのかに漂い

はるか前方には
かすかな灯りが見える



礼拝の鐘が鳴り
戸口に女が現れた


ようこそホテル・カリフォルニアへ


「ワインを持ってきてくれないか」
「そのようなスピリットは1969年以降一切ございません」

「落ち着いて自分の運命を受け入れるのです
」
「チェック・アウトは自由ですが
ここを立ち去ることは永久にできません」

そのエリオット自身は、「ホテル・カリフォルニア」の歌詞をこう解釈している。

「この曲がヒットした理由のひとつは、
ショービジネスや音楽業界、
カリフォルニアに出て来て一旗あげようとしている連中だけじゃなく、
それ以外の普通の人達にも人は人生の中で、
本当に大切なものを失ってしまう危険がある
と訴えているからなんだ、と思います。
例えば、結婚しても様々なローン(車、家、子供の教育・・・等々)
に追われるうちに夫婦の愛情が失われてしまったりとか、
あるいは、対人関係が上手くいかなくなってしまったりという、
誰の日常にでもある危険性です。
人生はもっと豊かになる、
そんな夢に嵌ってしまって逆に人生を台無しにしてしまうような、
そういうメッセージではないかと、私は思っています。」

西洋も東洋も同じ。

「邯鄲の夢」?

「ホテル・カリフォルニア」
いっけねぇ
チェック・インしちゃったかもしんない。
あ、でもチェックアウトできるって言ってるし、
もはや無我の境地だし・・・

2007年9月9日日曜日

卒業




あのアン・バンクロフトはもうお亡くなりになってしまわれまして・・・
青年ダスティンホフマンの、
これから起きるかもしれない甘美な優雅なドキドキな
なんとも言えないのどがつっかえる言葉に、
アンバンクロフトがワンテンポ早く突っ込んで戻してあげる事で
ますますのどがからからになるダスティンホフマン・・・
うむ、年上女はかくも素晴らしいんじゃろかと・・・
こっちまでドックンドックン
考えてみたら「卒業」の映画の中で使われたサイモンとガーファンクルの曲はどれも示唆に富んでいましたね。

「サウンドオブサイレンス」。「沈黙の音」ですよ。
どういう事ですか・・

People talking without speaking
People hearing without listening

人々は話さないで話す。
人々は聴かないで聞く。
「speak」は話す行為だけ。
「talk」 は「おしゃべりする」で内容を重視。
赤ちゃんは「speak」しても「talk」はしない、らしい。 
「listen」は「耳を傾ける意識を持って聴く」
「hear」 は「意識しなくても耳に入ってくる」
と、あるところに書いてありました。
1963年に作られた曲。ある種の宗教的なところに端を発してるそうですが、現代人の浅はかさを指摘されてる感じ。
意味のない会議、意味のない書類、意味のないIDパス、意味のない報告・・・
人々は酒屋でトークできないし、聴けないし。
談論風発なんて死語かも。

それにしてもアンバンクロフト
個人的にはキャサリンロスの愛くるしさが良かったんですが、
あの映画もアンバンクロフトがいなきゃただの破天荒な映画になってたかもしれません。
いや、世の中には「その場面で必要な人ってのが必要」なんですよね。
世の中がどんどん幼稚になってるぞぉ。
考えてみたら「卒業」という言葉ががそもそも・・・