2007年8月17日金曜日

ホルガ


その人はおもむろにカメラを取り出しシャッターを切っていた。「パチッ」というか、シャッター音に聞こえない音だった。
トイカメラの一種だと思った。でもフィルムがブローニーサイズだ。
その人に聞いた。
「フィルム代高くないですか」
「え?」と聞き返されたような・・・気がする。
フィルム代なんて当たり前じゃないですか。目がそう語っていた。
ホルガ。調べると安っぽい中国製。
どう写るかわからない・・ところがいいらしい。
人と同じじゃイヤ!なのがいいらしい。
生産品質、保証、安心・・・
日本の価値観はこうして崩れていくんだな。
「なんか面白いんです」その人は素敵な笑顔で言い切った。
「時々裏ブタから光線が入り込むんです。」
なんかいい時代になっていきそうだ。

(ホルガの説明)
Holga(ホルガ)は中国製の安価な中判の箱形カメラ。その低忠実性ゆえに、ロシア製カメラのLOMOと並んで芸術的に評価されている。ホルガは1982年に香港で生まれ、その頃に中国でもっとも普及していた120フィルム(ブローニー判)を使用していた。そのカメラは元々、中国の労働者階級の人々の家族写真やイベントを記録することを目的に、安価で大量に販売されることを目指していた。ホルガの語源は広東語の「Ho Gwong」(とても明るい)である。
低品質の材料と単純な凹凸レンズの組み合わされたホルガはLOMOよりも安く販売されたが、その安っぽい造りはしばしば背景のケラレ、ぼけ、光漏れあるいはその他の像のゆがみを生み、同じ機種でも一個一個写り具合が異なるほど品質が劣っていた。これらの効果により時々生じる一風変わった写真は、皮肉なことに国際的なカルト的人気を高め、ホルガの写真はアートと報道の分野で数多くの賞を勝ち取り、トイカメラの愛好者や芸術家などに強く支持されている。

2007年8月16日木曜日

ブエナビスタソシアルクラブ


ドス・ガルデニアス(クチナシの花をふたつ)
クチナシの花をふたつ
君にあげよう
こころからいとしい人よ
どうか枯らさないで
この花は君と僕の
こころだから

でもある夜
クチナシが枯れたら
それは花の嘆き
君が僕を裏切って・・・

キューバ。地球上で一番セクシーな音楽。忘れられたノスタルジー。
ハバナ旧市街は世界遺産だそうだ。
キューバのナットキングコールと称されるイブライムフェレールの声は
ライクーダーのスライドギターでさらに泣かせてくれる。

ヴェンダースと聞いただけでこころが踊る。
「パリテキサス」のライクーダーとのセッションも良かったけれど
このドキュメントを一遍の詩のように編み上げる力量がすごい。

才能が、三つ巴で、柔らかく、やさしく、ぶつかっている感じがする。
そしてささやいている。

「ひとはひとりでは何もできないのさ」


イブライムフェレール。
私の庭にはチューベローズ、バラ、白百合が咲いている。私のこころはとても悲しく重い。このこころの痛みを花々には見せたくない・・・。

2007年8月15日水曜日

太陽がいっぱい


くつろぐ僕へウエイトレスが声をかけた。「ご気分はどうですか?」
僕は答える。「太陽がいっぱい。最高の気分さ。酒をくれ。」

じりじりと焼きつける太陽。
あの夏の日がなかったらきっとここには来なかった。
美しさと不条理を感じたくてここへ来てしまった。
「最高の気分さ。酒をくれ。」



(以下は映画書評から)
ニーノロータの切ない旋律。秀逸なフィルムワーク。そしてカメラワーク。
アランドロンを不気味な魚や天秤などの被写体と一体化させ、ニーノ・ロータのメロディと相まって、深層心理を比喩。
ルネクレマンは、空間を変えずに、時間だけをジャンプさせたりもしているが、これが自然なので流れを乱しておらず、ヌーベルバーグの極端なジャンプカットよりも興味深い。

ドカエのカメラワークもまた素晴らしく、斬新で巧妙な構図も多数見受けられる。
面白いのが、前景と後景でそれぞれ異なるシチュエーションを同時に見せるテクニック。
前景では男と女がいちゃついていて、後景では内気に何もしないでいるアランドロンの表情を捉える。

観客の感情を振るわせて見事である。

 ロー・アングルも多用して、カメラをわざと壁に近付けて奥行きを出す演出も素晴らしいが、撮らなくてもストーリーに支障をきたさないようなものなら撮ってないことにも注目してもらいたい。
例えば殺人シーンではナイフを刺す瞬間は撮らずに、ナイフのアップショットだけで迫力の映像に仕上げているし、殺した男を運ぶシーンでは足しか撮っていない。構図だけでもサスペンスを盛り上げているのだから頭が下がる。

ラストのパラソルの構図も印象的である。最高の気分でくつろいでいるアランドロンを、素直にカメラは捉えてはいない。

2007年8月14日火曜日

美人秘書


「美人秘書」うん、わかりやすいネーミングだ。近くにこう呼ばれている方がいる。「な」さん。
もう何十年も「美人秘書」をやっている。らしい。
先日話していてハッと気がついた。まず気取らない。気さく。よく笑う。話をそらさない。人の話をよく聞く。合いの手が上手い。ショートヘア。世の中の大概の事がわかってらっしゃるので「そんな事言っちゃってぇ」が上手い。話がどんどん盛り上がる。
そしていつの間にか裸にされているのである。その時こころはすっかりオープンマインド。あの境地に達したいなぁ。
「話」は「術」なんである。気取った自己中心の会話はつまらないじゃない。あれと同じ。「話が上手」と簡単にいうけれどそれは「術」なのだ。その場の人に瞬時に掛ける事ができる人は稀である。「美人秘書」はその点上手い。この人の前では何事も秘密にして置く事は不可能なんじゃないかと思う。そして威圧感がない。
「美人秘書」・・・。いわれはこのへんにあるのかも。

2007年8月13日月曜日

リビドー


本屋さんにイスを置いたら、本を買うどころか座り読みされて終わってしまう。という考え方と、本を買う確率は来店数に正比例するから多く来てもらう方が良い。という考え方がある。僕にとってそんな事はどうでもいい事だと思いながら、イスを眺めていたのか、女性を見ていたのか、女性の足元のフロイトが見えたのか、全ては定かでない。表題のような気分があった事は確かだ。

2007年8月12日日曜日


僕の前に道はないけれど、僕の後ろにも道はない。なんてひねくれた事を考えていたのは雨のせいでしょう。遠い風景はなんだか何かを思い出させるなぁなんてしっとりした気分。あ、ただそれだけでございます。

逆もまた「新」なり


交差点でした。前にいる男性の背中を見るともなしに見てました。何か変なようなこれでいいような・・。不思議な感覚に襲われてました。「いいんだよぉ」とビールのCMの声と「違うんだよぉ」という声が交差してました。この男性の背中のマークはあの「ラコステ」。ポロシャツをしっかり上のボタンまで止めて着ているだけでした。何かかっこよかった。カメラ持ってなかったので携帯でシツレイと声かけて撮りました。発想力?