2007年12月7日金曜日

ポ〜シェ


彼のッ、クルッマに乗ってッ、マナッッツの海をッ、走りッ続けたッ・・
ちと違うけど、それにしても艶っぽい。
日本のクルマメーカーがつい最近超弩級のクルマを出した。
あのむき出し感に何の感銘も受けない。
売れてるそうですが何でだろッという感じ。

歴史とかデザインとかいうつもりはないけど
「内包」ってのがあるでしょ。
それにはね、「知性」ッつうもんが必要なのよ。
あんたに言われたくない?はい、ごもっとも。
光と影を見事に写し取るこのクルマのボディライン
艶かしくて美しい。
路上に止めてあっただけですので僕のじゃないんですが・・
陰陽礼賛ですよ。

紙には勝てない


本はパピルスの時代に考案されたものです。
長い歴史の中でその姿を変えていません。
文字を紙の裏表に書いてその紙を綴じる。
表紙を付けてまとまったものにする。
そのうち大量生産のために印刷技術が加わる。
みんなあらゆる場所でそれを開き読む。
本は初代のアイディアに勝てない。
電子ブックなんかはあの手この手で色々出るけど紙に勝てない。
古書のフェアだってこんなに人が滞留してる。

クルマのワイパーも同じだ。
あの二本の棒が規則的に半円を描いて窓を拭く構造は変わらない。
ドイツのメーカーが一本で動くというのを作っていたけど最近見ない。
ものすごく複雑な動きをしないとフロントウィンドウを思ったように拭けない。
二本の棒はとてもシンプルな構造で動く。
初代アイディアに勝てない好例だな。
技術は進歩しても基本は変わらないって事か・・・。
こりゃ一度基本に帰ってみる必要があるな。
僕の基本?え〜と・・・。

2007年12月6日木曜日

シャシン


最近、スチールとかムービーとかを画像とか動画とか言ってあまり境界線がなくなりました。
デジタルの垣根は、あいまいで低いものになったような気がします。
つまり内容とか質を問わないでいいジャンルを作り出してしまったような気がする、という事なんですが。

反面、シャシンは頑ななまでにこだわりを見せ、相変わらずフィルムカメラは高値取引。
一方で高級デジタルカメラは「シャシン」論争に五月蝿いです。
昔、映画屋さんを「カツドウヤ」さんと呼び、映画は「シャシン」と言ってました。
「ありゃいいシャシンだよ」という具合です。
そしてスチルもシャシンです。

「シャシン」
真を写す。
なかなか含蓄がありますな。

もしかして「シャシン」は「写心」かい?
機材じゃないってことですよ、あ〜た。

2007年12月5日水曜日

日本、チャチャチャ。


沖縄の風景みたいだけど。
日本もこんな原風景、どんどん少なくなってます。
そしてこんな笑顔のおばあちゃんも少なくなってるんでしょうか。
以前はこんな写真は広告写真ではなかったんじゃないでしょうか。
広告がドキュメンタリーに近づいてきたのか、
ドキュメンタリーじゃなきゃ人々に訴えられなくなってきたのか
いや、一番力を持ってるのはやっぱりドキュメントですよ。
せっかくだからコピーがないのも良かったのに。
それにしても日本は、もちっとなんとかならんのか。

夜明け前


「木曽路はすべて山の中である」
はじまる前は何事も闇の中である・・・。きっと。

夜明け前のエネルギーはすごい。
闇をこじあけるように光が射してくる。

その瞬間を目撃していたい。
いつも、何かに向かっていたい。
嘆く前に動け。
たたずむ前に走れ。
沈思黙考じゃだめだ。
活路は走破から生まれる。
闇を光に変えられるのは、自分だけだ。

組織論じゃだめだ。
同じニオイの人間を捜せ。

大言壮語がいいじゃないか。

2007年12月4日火曜日

クリスマスレコード


都会の路上。風に吹かれる落ち葉の音は乾いている。
そう言えばこの辺りに昔クリスマスレコードという会社があったなぁ。
夏でもクリスマス。友人が立ち上げたその社名は洒落てる、と思った。
ジャズレーベルだったかな。
時は過ぎた。時代に少し早かったのだろうか。
今だったらどうなんだろう。アプローチを間違えなければ、もしかして。

げに人の世は


さるお方とさる番組制作会社の社長とお会いした。
高邁な考えの持ち主のお方だった。
現実とのギャップを実に嘆いておられた。
スタッフの方の鬱屈した話し方も気になった。
きっと社長の考えを実感されているのでしょう。
会社を経営していく事は常でも大変な事だが、その実態は想像を超えていそうだった。
「もう一年半も立て替え」ていたり、局の意向に何で折り合いをつけるかだったり。
その中で良質を求めていく事のすさまじさに感銘に近いものを受けた。
以前訪れた広島、鞆の浦。
福禅寺、対潮楼から望む弁天島、仙酔島。
ここの和尚は「見なされ。この枠は人の一生である。暦はかく流れ、人の世のうたかたはかくも哀れなれば・・・」というような事を歌うように講釈していた。
「日東第一形勝(朝鮮より東で一番美しい景勝地という意)」と賞賛されたその景色を日本の漢学者や書家らは愛でたという。
まことに穏やかなその景色は日出るより落日まで誠に味わい深いらしい。
日本を覆いまくっている格差は古代からあるのだろうが、昔は「ひとかどの人」がいたのだろうに。
社長!その苦労、よくわかります。

2007年12月2日日曜日

教授ったら!


象牙の塔の向こう側。なろうとしてもなかなかなれない職業、「教授」
仕事で訪れたその大学教授はとても人間的な感じがした。
「日本を再び・・・」そのメッセージは研究内容とも相まって面白かった。
異分野融合。これからの時代に必要であるとよく聞く。
その教授も同じような言葉を吐いた。
そしてその実際に唖然とした。
工学の人である。そこからバイオにヒントを得ていた。
舌を巻く発想力ですねぇ。
ちょっと研究設備の中で撮影いいですか?
あ〜いいですよ。気軽に無菌服(?)みたいなものを着ていただいて・・・。
さすが、です。

水圧


都会は水圧が高い、らしい。
モノとか情報とか人の情念とか、が。
でその水圧から身を守るために「殻」が必要になるらしい。
それが無関心だったり自己中心的になる事だったり。
ある作家のその文章はえらくこころにひっかかった。
それじゃあまりにも寂しいじゃないか、というのとそれを全面否定できない、いやしない無力な自分がそこにいた。
大地は生きる養分を供給してくれるとも書いてあった。
「生きる養分」なんと魅力的な言葉でしょう。
そういえば田舎では時間の流れ方が違うと感じるのは確かだし、何かをもらった気分になるのも確かだ。
都会と自然を行き来できたら刺激と安らぎを交互に得られるのだろうか。
そんな贅沢を言ってはいけないのだろうか。
都会の夕暮れが無慈悲に見えるときがある。

お〜い「養分」  ちょうだい。