2009年12月1日火曜日
閑話
駅に向かう間、隣でお話になっていた人の会話。
もしもしお疲れっす。
渋谷つきました。
はい改札っすね、
着きました。
小田急っすね、
はい着きました。
えどこっすか、はい・・・改札にいます。
ついに出会えない
ふたりの会話
ここは京王井の頭線。
2009年11月27日金曜日
セバスチャン・サルガド2
2009年11月26日木曜日
目は口ほどに・・・
2009年11月25日水曜日
セバスチャン・サルガド
何ですか。悲しみに満ちたこの写真は・・・
「お前、東京都写真美術館行ってないの?!」
「アフリカだよ!エッ見てないの?!」
「サルガド知ってるよね。サルガド・・セバスチャン・サルガド・・・」
久しぶりで会った人に言われ、
「し、知りませんッ」
(何て知らない事が多いんだろうと情けなくなります)
「あのモノクロを見なきゃだめだよ」
ヒッ、ヒジョーに記憶に残った話なので手帳に書き留めて調べました。
サルガド氏は1944年ブラジル生まれ。サンパウロ大学で経済学修士を取得、
その後パリ大学で農業経済学博士課程を修了してロンドンに本部を置く国際コーヒー機関に就職。
そこからアフリカへ調査に派遣され、そこで写真を撮り始める。
1970年代半ばに仕事を辞め、パリでプロの写真家に。彼の写真の原点はアフリカ。
大きなテーマを決め、何年もかけて緻密に取材、写真集にまとめるのがサルガド流の仕事の仕方。
1980年代のサハラ砂漠の南、サヘルの干ばつによる飢餓を取り上げた写真集「サヘル」は世界中に大きな衝撃をあたえた。
その後世界の労働者を取り上げた「WORKERS」でも、
移民や難民など地球上を移動する人びとを取材した「EXODUS」でもアフリカは重要な舞台として登場。
30年を経て写真家は最後の大きなプロジェクト「GENESIS」
サルガド氏は、世界各地で精力的に撮影を続ける一方で、
日本でフォトドキュメンタリーの世界や技法を伝える活動を、2003年から続けている。
日本写真芸術専門学校の名誉顧問として、サルガド氏自らが撮影に出かけるワークショップを実施。
特別講義は、同校の在学生に加えて、一般の人にも一部門戸を開放。
講義を聴きたい。
サルガド氏が使うフィルムはトライX400。
320で撮影すると書いてある。(本当はどうでもいい事ですが)
それにしてもモノクロは美しい。
12月4日は「アフリカナイト」らしい。
2009年11月24日火曜日
銀座線不通
休み明けの今日。
銀座線渋谷三越前間が不通でした。
理由は赤坂見附駅で線路内点検。
すぐ動くだろうと10分ほどホームで待っていました。
動く気配ありません。
電車に乗ってる人、ホームで待つ人どんどん歯抜け状態になっていきます。
いつも騒々しい渋谷駅がシーンとしていて思わぬ時間の拾い物のような気分です。
「過ぎてゆくのは時と風です」
イイチコが光って見えます。
待ってる人々、電車の中の人々がいい機会だとばかりにわりと穏やかな顔してます。
後何分すれば再開するのでしょう。
いま30分経過しました。人間心理。30分過ぎてみんな気もそぞろになってきました。
だいぶ 人 少なくなりました。
こうなればホームで仕事しますか。
「もしもし、お元気ですか。」
2009年11月23日月曜日
何かはまりそう
2009年11月22日日曜日
デフレ宣言って・・・
デフレって何だっけ。
デフレって宣言するのか・・・
「デフレとは、お金の価値が上がり、相対的にモノの値段が下がることをいう。
モノの値段が下がったからといっても、
通常、人は必要以上にモノを買わないので、
モノが同じ数だけ売れても、販売価格が下がれば企業の売り上げは落ちていく。
企業業績が悪くなると、経済活動全体が元気をなくし、経済が縮小していく。
全てのモノの値段が比例して動けば、問題はないが、
現実はそうではなく、物価の下落に追いつけないものが出てくる。」
写真のミニチュアは数万円します。
どうしてもバードウォッチングをしたい人はスワロフスキーのフィールドスコープが欲しいそうです。
何十万かします。
ニッチだけど確実にあったマーケット
もうそんな世界はなくなるんでしょうか。
人間が人間じゃなくなっていくみたい。
2009年11月20日金曜日
グーグルゾン
2004年に予測を含めて作られた「epic2014」というのがあります。
ショッキングですがある方向を示唆しています。
epic2014の邦訳。長いんですが。
最良の、そして最悪の時代。
2014年、人々は前世紀には考えられなかったほどの膨大な情報にアクセスできるようになる。
誰もが、何らかの形で貢献をする。
全員が刻々と変化する生きたメディア空間に参加するのだ。
しかし、マスコミは姿を消してしまった。
”第四の権力”は衰退する運命にあり、20世紀的なニュース機関は結果的にはそれほど遠くない過去の残留物となった。
2014年への道は、20世紀半ばにさかのぼる。
1989年、スイス・ヨーロッパ粒子物理学研究所 (CERN)のコンピュータ・サイエンティスト、ティム・バーナーズ-リーは、ワールドワイドウェブ(WWW)を考案した。
1994年、アマゾン・コムが設立される。若き創設者の夢は、すべてを売ることだった。のちにインターネット販売の標準になるアマゾンのモデルは、店が個人のお勧め商品を自動的に教えてくれるレコメンデーション・システムの上に成り立っている。
1998年、2人のスタンフォードのプログラマーがグーグルを生み出した。そのアルゴリズムはアマゾンのシステムと似ており、リンクをレコメンデーションとして捉える。この土台が世界でもっとも強力な検索エンジンを始動させる。
1999年、TiVoは、テレビを時間帯とコマーシャルの束縛から解放することで、テレビを変える。元に戻ろうとする人は、ほとんどいなかった。
この年、パイラ・ラボと呼ばれるネット新興企業が、個人の情報発信ツール「ブロガー」を発表する。
2002年、フレンドスターが開設される。何十万人もの若者が登録に殺到し、彼らの生活や趣味、また人間関係に関する驚くほど詳細な情報を共有する。また、この年にはグーグルはニュース・ポータルの「グーグルニュース」を開設。ニュース機関は反則だと叫んだ。グーグルニュースのすべては、コンピュータにより編集される。
2003年、グーグルはブロガーを買収。グーグルの計画は謎だったが、彼らがブロガーに興味を持ったのには理由がある。
2003年は、ブログの年である。
2004年は、すべてが始まった年として記憶に残ることだろう。「リーズン・マガジン」誌は、各購読者が住む家の衛星写真を表紙にし、各人の好みにカスタマイズされた内容を掲載した号を発行した。
ソニーとフィリップスは世界初の大量生産向け電子ペーパーを発表。グーグルは、各ユーザーに1GBの無料スペースを提供する「Gメール」を発表。
マイクロソフトは、カスタマイズ可能なニュース・ポータル「ニュースボット」を発表。
アマゾンは、グーグルの技術をもとに構築し、アマゾンのレコメンデーション・システムとも統合した検索エンジン「A9」を発表。
そして、グーグルが上場する。
グーグルは、新たな資本をもとに大規模な買収を行う。グーグル、TiVoを買収する。
2005年 ー グーグルの動きに呼応して、マイクロソフトはフレンドスターを買収。
2006年 ー グーグルはサービスのすべてを統合する。同社は、TiVo、ブロガー、Gメール、グーグルニュース、そして検索関連のすべてを統合し、あらゆる種類のメディアを保存・共有するための無限大のストレージ容量と帯域幅を提供する万能プラットフォーム「グーグル・グリッド」を発表。常時つながっており、どこからでもアクセスできる。各自でプライバシー保護レベルを設定し、コンテンツを安全に保存したり、外部に公開することができる。誰にとっても、メディアを作り出すと同時に消費することがこれほど簡単にできたことはなかった。
2007年 ー マイクロソフトは、グーグルの増大する挑戦に対して、ソーシャル・ニュース・ネットワークおよび参加型ジャーナリズムのためのプラットフォーム「ニュースボットスター」を発表。ニュースボットスターは、ユーザーの友人や同僚が何を読んでいるか、見ているかを基準にニュースの順位づけや選別を行い、仲間が見ているものに対して誰もが自由にコメントできる。
この年、ソニーの電子ペーパーは、本物の紙よりも安くなり、ニュースボットスターを閲覧するツールとしての第一候補となる。
2008年は、マイクロソフトの野望に挑戦する提携が生まれる。グーグルとアマゾンが合併し、グーグルゾンが設立。グーグルは、グーグル・グリッドと最高の検索技術を、アマゾンはソーシャル・レコメンデーション・エンジンと巨大な商業インフラを提供し、1人ひとりの人間関係、属性、消費行動、また趣味に関する詳細なナレッジを把握することで、コンテンツ、そして広告の包括的なカスタマイズを実現する。
2010年のニュース戦争は、実際のニュース機関が参加しなかったという点が特筆すべきだ。
グーグルゼンはついに、ソフトウェア巨人のマイクロソフトも対抗できない手を打ってきた。新アルゴリズムを使い、グーグルゾンのコンピュータは、あらゆる情報ソースから事実や文章を抜き出して、それらをふたたび組み合わせることで、新しい記事を動的に作り出す。コンピュータが、各人に向けて記事を書くのだ。
2011年、眠れる第四の権力は、最初で最後の抵抗をするために目をさます。ニューヨーク・タイムズ・カンパニーは、グーグルゾンの事実抽出ロボットが著作権法に違反するとして、同社を提訴する。この裁判は最高裁まで進み、2011年8月4日、グーグルゾンは勝訴する。
2014年3月9日、グーグルゾンは「EPIC」を公開。
我々の世界へようこそ。
この”進化型パーソナライズ情報構築網(EPIC)”は、雑多で混沌としたメディア空間を選別し、秩序立て、そして情報配信するためのシステムである。ブログの書き込みから携帯カメラの画像、映像レポート、そして完全取材にいたるまで、誰もが貢献するようになり、その多くが対価を得るようになる。記事の人気度により、グーグルゾンの巨額の広告収入のごく一部を得るのだ。
EPICは、消費行動、趣味、属性情報、人間関係などをベースに、各ユーザー向けにカスタマイズされたコンテンツを作成する。
新世代のフリーランス編集者が次々と生まれ、人々はEPICのコンテンツを選別し優先順位をつけるという能力を売るようになる。
私たちのすべては多くの編集者を購読するようになる:EPICでは、彼らが選んだ記事を好きなように組み合わせることができる。最高の状態では、EPICは、見識のある読者に向けて編集された、より深く、より幅広く、より詳細にこだわった世界の要約といえる。
しかし、最悪の場合、多くの人にとって、EPICはささいな情報の単なる寄せ集めになる。
その多くが真実ではなく、狭く浅く、そして扇情的な内容となる。
しかし、EPICは、私たちが求めたものであり、選んだものである。そして、その商業的な成功は、報道倫理のためのメディアと民主主義をめぐる議論が起こる前に実現した。
2014年の現在、ニューヨーク・タイムズ紙は、グーグルゾンの支配に対する精一杯の抵抗として、オフラインとなった。
タイムズ紙は、エリート層と高齢者向けに紙媒体のみを提供するようになる。
しかし、ほかにも進むべき道は、おそらくあっただろう。
2009年11月17日火曜日
ビットの時代から
ビットの時代。昔読んだ本だ。
著者はニコラスネグロポンテ。
米マサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボの創設者。
1995年出版、その年のうちに邦訳、90年代後半を席巻したITバブルの「聖書」となった本。
覚えているのはファクスの話。
アナログはデジタルには戻らない話。
毎朝メールが100通来る話。
(うっそぉとびっくりしました。)(僕はマックでまだ四苦八苦し、遅い通信にイライラしながら再起動を繰り返していた。)
日本での刊行当時は、ネットは黎明期で、ブロードバンドの普及なんてまだ夢の先。DVDよりVTR全盛。
でも、なんとなく、大きな変革が猛烈なスピードで起こっている、そんな予感は、垣間見えていました。
そんな現象と行き先を、ぴったりに表現した言葉。ビットの時代。
その本がタイトルも「ビーイング・デジタル」として再刊されている。
この中でネグロポンテは、"Daily me"(デイリー・ミー。日刊紙「本日の私」・日刊自分新聞)の出現を予言していた。
糸井さんの「ほぼ日」はこれに発想のヒントを得ていたのでしょうか。
書評には
「あれから、十数年経過して、本書が示唆する以上に、時代と世界は変化の波に洗われ、フラット化し革命的なスピードでビットが駆け巡る環境になりました。でも、その原理原則、ネグロポンテの思想が陳腐化することはありません。」と書いてある。
「願わくば本書のリニューアル、改訂版、続編を、ニコラスネグロポンテ氏に書いてほしいものです。現在の状況と、さらにクラウド・コンピューティングな状況がもたらす未来を。彼はどんなビジョンを持っているのか?」とも書いてあります。
なるほど。聞いてみたいものです。
そう思っていたら
「坪田知己 2030年メディアのかたち」がありました。
こりゃまたすごいです。
2009年11月16日月曜日
ハラキリ。クビキリ。
2009年11月14日土曜日
No Line on the Horizon
» Boden sea -Uttwil by Hiroshi Sugimoto|artnet
ラジオから流れてきた杉本博司氏の話。
広告写真撮ってたんだけど、人に色々言われるのがいやになった
ニューヨークの美術館に売り込みにいった
その後
U2から新作「No Line on the Horizon」
のアルバムジャケットに使いたいとオファーが来た。
いやだよと言った。
理由がふるってる。
「U2のロゴが入るんじゃいや」
じゃ、ってんでジャケットは写真だけ。何も書かれていない
ケースの外側に「〓」のシールのみ。
裏面にU2のロゴ
U2が敬意を表した話
何だかすごい
かっこいい
突き抜けてる
うむ、捨てるものがない境地からはこのようなものが生まれる
写真を見た「Seascapes」
水、海、どれも静謐な世界
最も知られている作品シリーズは
アメリカ自然史博物館の動物を収めた「Dioramas(ジオラマ)」
ドライブイン・シアターや1920年代に建てられた豪華な映画館のスクリーンを収めた「Theaters(劇場)」
詩的でミニマルな「Seascapes(海景)」
そして歴史的に重要な建築物をピントをぼかして画面に収める「Architecture(建築)」
杉本の作品は、時間と空間、存在と不在、現実と幻想についての瞑想録とも言える
と、彼のドキュメンタリーDVDの紹介に書いてある。
森繁久彌さんが死んだ。
次男さんがかつての主演映画がテレビで流れるから見ようよと言ったら
「いい。見たくない。そんな事は終わった事だ」と答えたという話
突き抜けた人は言う事が違う。
2009年11月13日金曜日
「するな」より「しよう」
「するな」より「しよう」が多い会社が元気だ。
というコラムがありました。
コーポレートガバナンス
とか色んなコトバが並んでいます。
次を読もうと思ったら、
次のページからは会員の人じゃないと読めない某経済新聞
内容は、タイトルが書いてあるので想像しました。
「するなが多いと動けない」
「しようには社員と経営者の意思疎通が必要」
ふむ、きっと想像通りの事が書いてあるんだろうな
と想像できるタイトルです。
因に会員になるのは無料とあります。
でも入力する気にならない。
おいしいお菓子をあげるよって言われて
でも、ここまで飛んでごらんと言われて白けた気分です。
こんな事で集めたデータでも「うちは会員数すごいんです」と言っちゃうんだろうな。
改めて、ディズレーリの
“There are three kinds of lies: lies, damned lies, and statistics”
(「世の中には3つの嘘がある。一つは嘘、次に大嘘。そして統計である」)
を思い出しました。
そういえば僕のウェブの読者数すごいんだよ
という人もいるなぁ。
閑話1
21時頃の環八
妙に空いてました。
スイスイ走れます。
景気と関係ありそうです。
閑話2
ゲンダラジオの「それでいいのか」
きっと事業仕分けの事だろうと想像しました。
本当にわかってるんだろうか。この人たち。
あれ、パフォーマンスに見えて
そして、いじめに見えて仕方ありません。
2009年11月11日水曜日
潮流
2009年11月10日火曜日
安達太良山
あの連峰はなんだ
ナビを見ると「安達太良山」
あだたら あだたら
聞いた事あるし、誰かが歌に詠んでたような
そうだ、高村光太郎
智惠子です。
この主峰である安達太良山は、別名「乳首山」とも呼ばれる標高1700mの休 火山です。
詩人・彫刻家として有名な高村光太郎は、
「あれが阿多多羅山、あのひ かるのが阿武隈川」(樹下の二人)、
「阿多多羅山の山の上の毎日出ている青い空 が、智惠子のほんとうの空だといふ」
等を詠み、智惠子のふるさ ととしても知られています。
http://homepage2.nifty.com/ko-kan/より
東北行
本当に遠かった
夜が明けてきて
はじめて見たのが安達太良山だった
眠くて単調な時間に一服の清涼剤のようでした。
2009年11月9日月曜日
東京オリンピック
2009年11月3日火曜日
陽忍
グラッドストンを知ってるかね。
あ、知りません。
ウィリアム・グラッドストン
イギリスのヴィクトリア朝期の政治家。1867年に自由党党首。明治期日本の政党政治家には、自由主義の理想を追求する政治家として人気があった。 アヘン戦争の際も議会において反対の演説を行い正義感にあふれた人物であった。
ディズレーリを知ってるかね。
あ、知りません。
ベンジャミン・ディズレーリ
イギリスのヴィクトリア朝期の政治家。保守党党首。ディズレーリは大英国主義を主張した。小英国主義を主張した首相としては、彼の前後に在任した自由党のグラッドストンがいる。
全部ウィキペディアより。
グラッドストンは誠に政治家として正統だったのでしょうか。
あまり記述がありませんでした。
ディズレーリについては面白い事が書いてありました。
現在に至るまでイギリス首相となったユダヤ人はディズレーリのみである。
ヴィクトリア女王との信頼関係が政権長期化に結びついたといわれる。女王はことあるごとに、自ら庭先で摘み取った桜草をディズレーリに贈った。首相は「他の何よりも勝る贈り物」として喜々と受け取るという次第で、二人の仲は恋仲と誤解されんばかりであった。
2度目の首相在任中に行った1875年にはスエズ運河(国際スエズ運河会社)の買収がある(株式の44%、17万株を取得)。
なおこの買収に際して、英国政府はユダヤ人の大資本家ロスチャイルドから借金をしている。
その後、
「世界は裏の世界を知らない。世間一般の人々が想像しているものとはずいぶん違った人物によって動かされているのだよ」という言葉を語っていたり。
統計データの信憑性を皮肉った
“There are three kinds of lies: lies, damned lies, and statistics”
(「世の中には3つの嘘がある。一つは嘘、次に大嘘。そして統計である」)
などの有名な言葉を残したり
「人と話をする時は、その人自身のことを話題にせよ。そうすれば、相手は、何時間でもこちらの話を聞いてくれる」など言ったり。
ところでなぜ今、ヴィクトリア時代の話なんですか、先生。
と尋ねました。
ウム、今の民主党と自民党がこのヴィクトリア時代に重なるのぢゃ
と先生はおっしゃいました。
ヴィクトリア時代、グラッドストンの自由党は、最後の党首ロイドジョージで滅び、変わって労働党が台頭するのぢゃ。
というと、自民党は無くなるとでもおっしゃるのですか。
ウム、その可能性があるという事ぢゃ。
ディズレーリと鳩山さんが重なって見えました。
2009年11月1日日曜日
二大対決
「何でもアリフォルニア」 か
カリフォルニアは素晴らしい所だと思うけど
何でもアリ フォルニアより、これがアル フォルニア
の方が行きたくなります
なんて思いながら撮りました。
見事にあっけからかぁんとしたコピーで頭が下がります。
ほんとにそう思ってる?
もちろんです。と自問自答
「たしかに たしかに。でも・・」なんて復唱するあたり
シュワちゃんがほんとに書いたに違いない
と思わせてくれるコピーです。
余計なこと考えない
来ていただけるならそれでいいです
以前にも「やっぱりカリフォルニア」
っていうキャンペーンやってたようです。
「やっぱり」から「何でも」へ
次は「それでも」かな。ミゴトです。
知事さんも嬉しそうです。
ところで芝浦商店街でもひっそりと
「謝恩福引」「来てね」というポスターが貼ってありました。
同じく駅ばりなんですが。
どっちが勝つか
比べようがないか
2009年10月29日木曜日
再びの
リストランテ アマルフィ 「デラ セラ」
「アマルフィ(amalfi)」
~ソレント半島の南東、サレルノ湾に面する海岸で、観光の拠点となっている。
周囲を断崖絶壁の海岸に囲まれ、
小湾の奥に位置する小規模な浜に作られた港から、断崖上に向かって形成されている街である。
アマルフィー海岸は、ユネスコの世界遺産(文化遺産)にも登録されている~
della
部分冠詞(di la) 英語のof the(女性単数)
sera
「セラ」ということばは、音楽の記号の一つで、
「休め」とか「ちょっと休止せよ」という意味だそうです
~私たちは「音」だけが音楽だと思うかも知れませんが、
しばしば、「休み」は和音と同じくらいに効果的なのです。
ですから、「休まなければならない」状態になったとき、
これも音楽の一部であることを覚えれば慰められるでしょう~
と書いてあるのを発見。
デラセラ デラセラ・・・
そういえば昔ウナセラディトーキョーってあったけど
関係ない?
2009年10月27日火曜日
気になる
2009年10月22日木曜日
2009年10月21日水曜日
ハプスブルグ
ベラスケスもデューラーもルーベンスも我が家の宮廷画家でした。
すごいコピーだなぁ。
ベラスケス
スペイン南部の都市セビリアに生まれ、スペイン絵画の黄金時代であった17世紀を代表する巨匠
マネが「画家の中の画家」と呼んだ
デューラー
ドイツのルネサンス期の数学者で画家
遠近法、解剖学、比率人体の比率を描く実験
ルーベンス
バロック期のフランドルの画家及び外交官
『フランダースの犬』において主人公のネロが見たがっていた絵画(アントウェルペン大聖堂にある「キリストの昇架」と「キリストの降架」)の作者として有名
彼の描いた裸婦のように全身にくまなく脂肪がついてる体型を「ルーベンス型」という
上、全部『ウィキペディア(Wikipedia)』です。
画家で、数学者で、外交官で・・・
絵画という表現に「隠された歴史」が塗り込められているようですね
我が家というにはあまりにも大きいハプスブルグ家
描いたら壮大な絵巻物になりそう
そういえば昔から強い興味を持っていると言っていたKさん
をフッと思い出しました。
2009年10月20日火曜日
未来
「未来」の語には
「これから来るべき新時代は現在より良くなっている」
という希望的観測が感じられ「瑞祥語」として使用される。
また、この先に何が待っているかは全く分からないという、
不安に近いニュアンスも併せ持っている。
『ウィキペディア』より
JALがハワイからの便で「エコ飛行」というニュースがありました。
日本―ハワイ間において新経路設定方式
「UPR(USER PREFERRED ROUTE」
を試行運用することを発表した。
この方式により飛行経路・飛行時間が短縮できるとして
同路線での二酸化炭素(CO2)削減量は4,700トン、
燃料使用削減量約193万リットル、
燃油費削減効果1億8,000万円に
やればできるんだというのと、今までできなかったんだという疑問と。
発想の転換
既存の見直しと新しい発想で
本当に新しい時代が来て欲しいものです。
「広告」という言葉、その呪縛から解き放たれない限り
新しい「何か」はやって来ない。
2009年10月16日金曜日
何してるんですかぁ
2009年10月15日木曜日
光と陰
2009年10月14日水曜日
流体力学
2009年10月12日月曜日
アップデート
2009年10月11日日曜日
845
2009年10月6日火曜日
マンホールの蓋はなぜ丸い
2009年9月18日金曜日
書店の出来事
さる書店の専門コーナーで本を探していました。
(誰もいなくて静かでした)
書店員の女性を連れて現れた若めの男性。
いきなり始まりました。
「あ~た!わからないのッ!」
「ここのコーナーの専門担当はいないのッ!」
「だめじゃない!客の要望に応えられないのはッ!」
「あ~た仮にも○○○○書店の店員でしょッ!なってないなぁ教育」
女性店員
「申し訳ありません。検索で出てこなかったものですから」
平身低頭である。
「検索で探して出てこないなら現場で探すのが筋じゃないッ?真剣に探してよッ」
相当な専門書を探してるんだな
それで相当頭に来てるんだな
最初そう思っていました。
しかし、
ここまで横柄な態度でいいのか
僕の後ろで声高に言う彼にだんだん腹がたって来ました。
女性店員
「・・・ライティング・・・ですよね」
まだ一生懸命探してます。
彼は探そうとはしません。
「ライティング」
ここは専門書コーナーですからライティングと言えばスクリプト関連?
「そうだよ。ブログのライティングだよ」
僕の聞き違いかと思ってると、ブログを書く時の書き方の本(つまりそれがライティング)を探してるらしい。
な、なんだとぉ!
ここで猛烈に頭に来てしまいました。
僕は振り返って睨んでしまいました。
「・・・何ですか!・・・」
急に睨みつけた僕に彼は言いました。
その容姿を見て何かを言うのを止めました。
横柄な態度とそのファッションがあまりにも似合っていたからです。
勘違い男 の典型
本当にいるんだ。この手の男
情けない日本男児
びっくりです。
「何か言う事あるんですか」
彼は僕に叫び気味で吠えてます。
「ご自分で探されるのが一番ですよ」
僕は一人ごちました。
親の教育が悪かったのか・・・
2009年9月17日木曜日
風
新政権が発足して深夜の記者会見
「ダムは中止です」
「人、モノ、金を徹底してつぎ込んで制度を作ります」
今までのしがらみがないから気持ちのよいコメントが多い
ビジョンありき、理念ありきからスタートしているようで誠に気持ちがよい
さらに総裁は「これから色々失敗もするだろう、後悔もあるだろう。が、前向きに捉えてその情報を共有しながら対処していきたい」
色々言われるかもしれないけど僕は期待します。
何よりも「姿勢」に。
簡単じゃないでしょうが・・・
仕事でも
「あ〜たねぇ、そう簡単には行かないんですよぉ」
という人をいっぱい知ってるし、見てきたから
まず「姿勢」を出す事で「意志」が見えるという
コッチの方が僕はしっくりくる
くじけそうになった時にも「正しい姿勢」をお願い致します。
人がみんな同じ方向を向いてるときに
ひとり逆を見てると目立ちます。
それが「かっこいいか」は大切な事です。
2009年9月16日水曜日
ねじれ
2009年9月10日木曜日
ジュール・ヴェルヌ
長い付き合いの方から
「ジュール・ヴェルヌ、知ってるよね」
「は、はい」
「ノーチラス号が」
「海底二万マイルが」
「・・・・そういえばコドモノコロ、読んだ記憶が・・・」
仕事に関連したので
DVDをお借りし(結局見ないうちにご返却)
「ジュール・ヴェルヌの世紀」も一読で時間切れ
わからぬうちにご返却・・・
この方の意欲と視点
持ち続けるのはすごいよなぁ
と感心しきりです。
と、昨夜その資料を見ていたら
な、なんと自分なりの発見
「1914年にエッツェル社を買収したアシェット書店が」という一文
アシェットってフランスのあのアシェット社
この頃からあったんだという感慨
ジュール・ヴェルヌで儲けたんだという驚き
この頃から買収やってたんだという斜め見
思わぬ発見にひとりでほくそ笑んだ夜
もういちどお借りして読もう
2009年9月8日火曜日
昔日
だいぶ前になりますが。
「赤提灯文化」と称して
赤提灯は日本の文化のひとつだと思ってたら今や外人さんだらけ。
外資はここまでリサーチしてるのか。
そのうち焼き鳥屋のオヤジがCEOになって
「うちはカンバン方式だから在庫を残さないようにしてます」とか
「大事なのはマーケティングです」なんて言い出したりして・・・。
そんときゃ、あたしゃ帰るからね。
なんて書いた事があります。
昨日、赤坂、青山、渋谷あたりを歩きまして。
何と外人さんがいません。(あくまでも印象ですが)
以前は赤坂の交差点なんて
信号待ちの時も外国語が飛び交ってました。
一体、どこの国にいるんだろうってなもんです。
静かになりました。
こんなところも静かになりました。
先日地場産業の活性化の事でお会いした方が
「黒船効果」という言葉を口にされました。
これとても大事(逆説としてです)な話です。
思う所あります。
今度書けたら書いてみます。
2009年9月5日土曜日
余計なお世話ですが。
2009年9月3日木曜日
美しいイス
2009年9月2日水曜日
ちょっと沿線
2009年9月1日火曜日
象彦
知る人は知っているブランド。象彦。
『象彦にとって三百年は短い
寛文元年(一六六一年)に創業以来、象彦は京漆器の伝統を受け継いで三百余年の歩み。
蒔絵技術に秀でた名匠・三代目彦兵衛が、晩年に「白象と普賢菩薩」を描いた蒔絵額を
菩堤寺に奉納したのが象彦の由来
「彦兵衛 」という名も、創業から十四代目。
しかし、人間と漆の歴史である数千年から見れば、ほんのわずかな時間にすぎません。』
『象彦は、つねに新しい
時代を越えて栄え続ける真の老舗には皆、独自の商品や商法、個性があります。
象彦もまた、京漆器の老舗として一つの信念を貫いています。
単純に企業拡大を考えず、
価値のある確かな商品だけをお届けすることを理念とし、
京漆器の語り尽くせぬ価値をさらに多くの人々に広めるためにも、時代に沿った漆器の提案をしていきます。』
三百年は短い
単純に企業拡大を考えない
すごい信念
iPhoneの漆カバーも創ったりしてるし
2009年8月28日金曜日
夏の思ひ出
2009年8月25日火曜日
本のある風景
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