2010年2月6日土曜日

またまたiPad考察


どうしてもiPadが気になって

ギークか一般ユーザーかとか
プロであるほどは反応がにぶいとか

「こんなものじゃないはずだ」という感触は日増しに強まる

WinであれMacであれ「今ある形のパソコン」に染まっている我々は
「ホントのダイナブック」が出て来た時にうまく理解できなくなっている。

技術的にはアラン・ケイの理想に手が届くようになったのに、
過去の歴史に引きずられて目が曇ってしまうということはないか・・・
「iPad はコンピュータの未来ではない。コンピュータに代わるものなのだ。」という Mike Monteiro の発言は重いと思う
▶MACLALALA2さんの「ipad-の未来を決めるもの」より要約

iPadを通してジョブズが見据えるのは、ひょっとしたらわれわれの想像だにしない、ずっとずっと先の未来のことなのかもしれない。
ギークだけが使えるものではあるはずがない。万人がすべからく使える製品でなければならない。でも子供だましではない。世界の深奥までたどりつけるのではないか、と思わせるようなデバイスでなければならない。
▶ZACKY'S ALTERBLOG「iPad。先を見据え、道を作る」より要約

ところでオバマのスタッフはみんなMacらしい

2 件のコメント:

KOH さんのコメント...

はははっ。今回はまったく理解できませんでした。仕事では、必要なのかも知れませんが、縄文時代のエネルギーに心惹かれる私としては、とても、ついていけません。ついていこうとも思わないのですが・・・

Unknown さんのコメント...

iPadは縄文時代に帰ろうという話です。
アラン・ケイの最も有名な言葉は
「未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ」
だそうです。