2007年12月26日水曜日

うんどんこん


色んな人がいるなぁ。
くじけそうになった時、元気をもらえる人
元気な時にこの元気を吸い取っていく人

今日はどんな人と会えるのか、
た、たのしみ・・・です。

エンジンかかりにくいのは石油の値上がりのせいですかぁ

2007年12月18日火曜日

眠るライオン


最近、体温を感じない人増えてない?
第一声はこうだった。
そういえば某会社も官僚的答弁で要領を得ない。
のらりくらり、あ〜言えば上祐
袖ふれあう中から人間関係が生まれるのに袖触れ合おうとしない。

ものすごい不況に突入する、という人もいる。
エスタブリッシュメントと第二国民にわかれるという人もいる。

縁は異なもの味なもの

僕の物差しは、「熱く語り、実行力を伴った人」と邁進せよと言ってます。
悲観もくそも「そんなの関係ね〜!」です。

あなたライオン たて髪ゆらし
ほえるライオン おなかをすかせ
あなたライオン 眠るライオン
僕はとまどう・・カナリアァぁぁぁ〜

2007年12月15日土曜日

ザ!ザ?


「みやさん!Theをつけるかつけないかわかる?フフフッ・・・」
さる偉い方からの電話は唐突にはじまりました。

「え?Theはただひとつを表す定冠詞で、えっとですからこれはただひとつじゃないわけでして・・」
「ほぉ!じゃこれはどうかな?」
「あ、ほんとだ!じゃあ、あれは間違ってたんでしょうか?」
「いや、そうとも言えんのよ。つまり、あそこはTheを付ける事で頂点である事を言える訳じゃよ」
「な、なるほど。さすがですねぇ」
「いや、ほんまにさすがじゃのぉ」

「よろん」と「せろん」の違いを教えてくれたその方は電話の向こうで満足そうにうなずいていた。
Theをつけるとつけないでこんなにも違うのを知った。
新しい発見に、僕とその方は夜の帳の中でお互い満足げな笑いを浮かべていた。顔は見えていないんですがね。
「あ、でもちゃんと調べておいてくれよ。唯一無二、あそこだけがTheをつけた表現が許されているということを、な」
「はい、もちろんです。じゃTheをつけた表記が許されるのは世界各国にひとつづつしかないという事になるんですね」
「そうだろうね。特にイギリスとアメリカはどこがTheという称号を許されているのか知っておきたいね」

家に帰って調べた。え?!っていうくらいTheをつけたところがいっぱいあった。
き、教授!私ら間違ってるようです。

脳みそがざくろのように割れました。

2007年12月14日金曜日

チキンボーイ


どうしても食べたかったんです。
これくらい食べると高いかも・・・
と思いながらつい注文してしまいました。
「3ピースね、あ、それから・・・ビ、ビール」

地下の禁煙テーブルにどっかりと腰を据えて
はまってる冒険小説に目を落としながら
おいしかった。ちと高かったけど

妙に明るい店内、繰り返し流れる歌、これがまたうるさいんだ
山下某氏と奥さんの日本語クリスマスソング

「クリスマスはだれにもやってくる〜」
最初は気にならなかったんですが・・・
「そうだな」「わかりました」「わかったよ」「うっるさいな」
だんだん字が目に入らなくなってきた。

雰囲気出したいんだったらジャズでも流せよ〜
ボリューム落としてさ。

隣じゃ若い女性が友人を勧誘してるし
「もちろん無理にじゃないのよ。ほら、人には感謝のキモチってあるじゃない。
それを教えられたっていうか・・
この製品を伝えることが、そのキモチを伝える第一歩かなって」
だったらボランティアに精出せよッ!
つい、心の中で罵倒してしまいました。

チキンをたくさん食べた僕は単なるチキンな奴に成り下がっていたのです。
オ〜ッノ〜ッ!

2007年12月13日木曜日

今日おじいさんと


電車で本を読む時よくシルバーシートに座ります。
今日の朝もそうでした。
おじいさんが途中で乗って来ました。
すかさず立って席を空けました。
「ありがとう!」「いえ、どういたしまして」
途中でおじいさんの横の人が降りて行きました。
「あなた、座りなさい」「いえ」「いいから」
座らせていただきました。
おじいさんは何か話したそうでした。
僕は本に夢中でした。
終点渋谷で。
「あなたがんばんなさいよ」
「はい!」
思わず「ありがとうございます」と言いました。
おじいさんは席を立ちませんでした。
「おじいさん、終点ですよ」「はい、ありがとう!」

旅をしてるような人でした。
車内でもっと話せば良かった。
でも話してたらずっとついてってたかも。

『上善は水の如し』


水は、柔軟。

水は、謙虚。

水は、力を秘めている。

上善とは、理想的な生き方の意味。
理想の生き方とは、水のような特徴を身につける事だとか。

もうたっぷり日は暮れています。

信号待ちの人々はなんだかゆったりしていました。

自分がつまらん事を考えているようで何だかつまらなかった。

2007年12月12日水曜日

奇妙な果実


ビリーホリディが歌った「Strange Fruit」
どうしても歌いたかったらしい。
大手のレコード会社は録音をずっと拒否した。
「ストレンジ・フルーツ」ずっと題名の意味を知らなかった。
アメリカ南部で最も人種差別の激しいテキサス、ダラス。
リンチにあった黒人が木から吊るされている光景を歌ったものらしい。

違和感を覚える街がある。
身の置き所がない街がある。

この街はフルーティな街だ。そして奇妙だ。
店から何から次々に変わっていく。
群がるように人々が集まってくる。
人々の目線は落ち着かない。キョロキョロしている。笑ってない。
みんな「何か」を探してる。

僕も探し物をしている。
でもここじゃないし、こんなんじゃない・・・気がする。

2007年12月11日火曜日

陰陽礼賛



谷崎潤一郎。「陰陽礼賛」
あるカメラマンの講演を聴きに行きました。
聴衆はみんな建築家でした。なんで?
建築協会の主催だったからです。
示唆とイメージに満ちた内容でした。
昔、フランスに行き、空の青さに宇宙を見たとか
ヨーロッパの100年の意味とか
カメラマンなのに建築のプロデュースをしてるんですよ。
それもパリの国立大学とか、日本企業とか
アーティストとタニマチの関係もほのみえて面白かった。

フォトは光
心は闇

トーキョーを空から見た
絞るだけ絞ると、光が少なくなった。
建築家も愛読するという「陰陽礼賛」
修行が足りないアタシ。


「糸しい、糸しいと言う心」と書くと「戀」と言う文字。
「恋」の原点だそうです。
国語の先生にならったのは確か中学生の頃。
それだけで授業中どきどきしてました。
あれから何回胸をときめかせた事があるか?

さあ〜?

今年の夏、渋谷駅構内。偶然撮った一枚。
隅から隅までよく見たら、
何と若者しかいません。
渋谷だから当たり前、ですかね。

でも合成でもないのに、少しびっくりしました。
はい、それだけなんですが。

2007年12月7日金曜日

ポ〜シェ


彼のッ、クルッマに乗ってッ、マナッッツの海をッ、走りッ続けたッ・・
ちと違うけど、それにしても艶っぽい。
日本のクルマメーカーがつい最近超弩級のクルマを出した。
あのむき出し感に何の感銘も受けない。
売れてるそうですが何でだろッという感じ。

歴史とかデザインとかいうつもりはないけど
「内包」ってのがあるでしょ。
それにはね、「知性」ッつうもんが必要なのよ。
あんたに言われたくない?はい、ごもっとも。
光と影を見事に写し取るこのクルマのボディライン
艶かしくて美しい。
路上に止めてあっただけですので僕のじゃないんですが・・
陰陽礼賛ですよ。

紙には勝てない


本はパピルスの時代に考案されたものです。
長い歴史の中でその姿を変えていません。
文字を紙の裏表に書いてその紙を綴じる。
表紙を付けてまとまったものにする。
そのうち大量生産のために印刷技術が加わる。
みんなあらゆる場所でそれを開き読む。
本は初代のアイディアに勝てない。
電子ブックなんかはあの手この手で色々出るけど紙に勝てない。
古書のフェアだってこんなに人が滞留してる。

クルマのワイパーも同じだ。
あの二本の棒が規則的に半円を描いて窓を拭く構造は変わらない。
ドイツのメーカーが一本で動くというのを作っていたけど最近見ない。
ものすごく複雑な動きをしないとフロントウィンドウを思ったように拭けない。
二本の棒はとてもシンプルな構造で動く。
初代アイディアに勝てない好例だな。
技術は進歩しても基本は変わらないって事か・・・。
こりゃ一度基本に帰ってみる必要があるな。
僕の基本?え〜と・・・。

2007年12月6日木曜日

シャシン


最近、スチールとかムービーとかを画像とか動画とか言ってあまり境界線がなくなりました。
デジタルの垣根は、あいまいで低いものになったような気がします。
つまり内容とか質を問わないでいいジャンルを作り出してしまったような気がする、という事なんですが。

反面、シャシンは頑ななまでにこだわりを見せ、相変わらずフィルムカメラは高値取引。
一方で高級デジタルカメラは「シャシン」論争に五月蝿いです。
昔、映画屋さんを「カツドウヤ」さんと呼び、映画は「シャシン」と言ってました。
「ありゃいいシャシンだよ」という具合です。
そしてスチルもシャシンです。

「シャシン」
真を写す。
なかなか含蓄がありますな。

もしかして「シャシン」は「写心」かい?
機材じゃないってことですよ、あ〜た。

2007年12月5日水曜日

日本、チャチャチャ。


沖縄の風景みたいだけど。
日本もこんな原風景、どんどん少なくなってます。
そしてこんな笑顔のおばあちゃんも少なくなってるんでしょうか。
以前はこんな写真は広告写真ではなかったんじゃないでしょうか。
広告がドキュメンタリーに近づいてきたのか、
ドキュメンタリーじゃなきゃ人々に訴えられなくなってきたのか
いや、一番力を持ってるのはやっぱりドキュメントですよ。
せっかくだからコピーがないのも良かったのに。
それにしても日本は、もちっとなんとかならんのか。

夜明け前


「木曽路はすべて山の中である」
はじまる前は何事も闇の中である・・・。きっと。

夜明け前のエネルギーはすごい。
闇をこじあけるように光が射してくる。

その瞬間を目撃していたい。
いつも、何かに向かっていたい。
嘆く前に動け。
たたずむ前に走れ。
沈思黙考じゃだめだ。
活路は走破から生まれる。
闇を光に変えられるのは、自分だけだ。

組織論じゃだめだ。
同じニオイの人間を捜せ。

大言壮語がいいじゃないか。

2007年12月4日火曜日

クリスマスレコード


都会の路上。風に吹かれる落ち葉の音は乾いている。
そう言えばこの辺りに昔クリスマスレコードという会社があったなぁ。
夏でもクリスマス。友人が立ち上げたその社名は洒落てる、と思った。
ジャズレーベルだったかな。
時は過ぎた。時代に少し早かったのだろうか。
今だったらどうなんだろう。アプローチを間違えなければ、もしかして。

げに人の世は


さるお方とさる番組制作会社の社長とお会いした。
高邁な考えの持ち主のお方だった。
現実とのギャップを実に嘆いておられた。
スタッフの方の鬱屈した話し方も気になった。
きっと社長の考えを実感されているのでしょう。
会社を経営していく事は常でも大変な事だが、その実態は想像を超えていそうだった。
「もう一年半も立て替え」ていたり、局の意向に何で折り合いをつけるかだったり。
その中で良質を求めていく事のすさまじさに感銘に近いものを受けた。
以前訪れた広島、鞆の浦。
福禅寺、対潮楼から望む弁天島、仙酔島。
ここの和尚は「見なされ。この枠は人の一生である。暦はかく流れ、人の世のうたかたはかくも哀れなれば・・・」というような事を歌うように講釈していた。
「日東第一形勝(朝鮮より東で一番美しい景勝地という意)」と賞賛されたその景色を日本の漢学者や書家らは愛でたという。
まことに穏やかなその景色は日出るより落日まで誠に味わい深いらしい。
日本を覆いまくっている格差は古代からあるのだろうが、昔は「ひとかどの人」がいたのだろうに。
社長!その苦労、よくわかります。

2007年12月2日日曜日

教授ったら!


象牙の塔の向こう側。なろうとしてもなかなかなれない職業、「教授」
仕事で訪れたその大学教授はとても人間的な感じがした。
「日本を再び・・・」そのメッセージは研究内容とも相まって面白かった。
異分野融合。これからの時代に必要であるとよく聞く。
その教授も同じような言葉を吐いた。
そしてその実際に唖然とした。
工学の人である。そこからバイオにヒントを得ていた。
舌を巻く発想力ですねぇ。
ちょっと研究設備の中で撮影いいですか?
あ〜いいですよ。気軽に無菌服(?)みたいなものを着ていただいて・・・。
さすが、です。

水圧


都会は水圧が高い、らしい。
モノとか情報とか人の情念とか、が。
でその水圧から身を守るために「殻」が必要になるらしい。
それが無関心だったり自己中心的になる事だったり。
ある作家のその文章はえらくこころにひっかかった。
それじゃあまりにも寂しいじゃないか、というのとそれを全面否定できない、いやしない無力な自分がそこにいた。
大地は生きる養分を供給してくれるとも書いてあった。
「生きる養分」なんと魅力的な言葉でしょう。
そういえば田舎では時間の流れ方が違うと感じるのは確かだし、何かをもらった気分になるのも確かだ。
都会と自然を行き来できたら刺激と安らぎを交互に得られるのだろうか。
そんな贅沢を言ってはいけないのだろうか。
都会の夕暮れが無慈悲に見えるときがある。

お〜い「養分」  ちょうだい。

2007年12月1日土曜日

ニオイ


久しぶりで更新します。

世の中にはONとOFFがあります。
ONは仕事、OFFは楽しみみたいな解釈でしょうか。
OFFをそのまま仕事に持っていける人はすごいと思う。
世の中の大半の人々はOFFはOFFさ、と嘯いている。でもそうなのかなぁ。
人として、とても不器用な人が本質的だったり、「立て板に水」は必ずしも良くなかったり、
最近物事の本質論に迫る話のほうが多くないですか。

OFF的な人とでもいうか、
噛めば噛むほど味が出る、するめのような人がこれからの本流じゃないですかね。

昨夜聞いたある会社の話。経営と実績の狭間で悶々としていました。
大変そうだけど人間的でもあった。
ONに追われる人生もスリリングでいいですけど、それを強要する側ほどつらいものはないでしょう。
人は社会に生きる以上、なにがしかのものを社会や会社に還元しなきゃいけないのでしょう。
でもそのスケールや任期を決めるのは誰なんだろう。
また決めたとしてもそれが正しかったと誰が判断できるんだろう。
人の物差しを借りた時点で判断は失敗じゃないかな。
彼は今までどうだったんですかとか、世間的にどうですか、とか。どんな人ですか、とか・・・
事実を積み上げようとしてだんだん本質から遠ざかっていくのがおちです。

ニオイで判断できない人増えたよね。
一方でニオイに敏感になったよね。
ニオイとは人としての練り具合、みたいな意味ですが。
さてあなたの周りには同じニオイの人います?
いたらシアワセの第一歩ですね。

2007年9月30日日曜日

まんだら



おぼろな月はキモチがいい。


「まんだらには胎蔵マンダラと金剛界マンダラがあり、

胎蔵マンダラは「理」の世界、物質的な世界。
金剛界マンダラは「智」の世界、精神的な世界。」
よくわからん。

「マンダラが西欧で注目されたのはC.G.ユングの一連の研究による。

ユングはマンダラが精神病の治療に作用することを発見しました。」
「混沌とした複雑な世界の中から見い出された秩序を直感的に表現したものがマンダラ」
ますますよくわからん。

フラクタル図形とかいうまんだらって何?

無理に考えるのが疲れたら、
お酒を飲んで   ぼ〜ッ  す〜ッ  は〜ッ
あれ、なんかスッキリしてきたぞぉ

ニコンF2



名機であります。
でもよる年波で、いやデジタルの波で・・・
使う事はなく、鎮座ましましておったのです。

「写真は遊ぶ」と思っております。
「おまえのそのやわな精神がいかんのぢゃ!」と、
この「えふに」はいつも言っておるようでした。
でも重いんです。

後ろもたしかにバックシャンではあります。
でも重いんです。


しかも、蓋をあけたらどうですか。この複雑な事。
肝心のフィルムスペースより他がだんとつにウェイトを占めてるようです。
まるで戦闘機仕様であります。


オークションで売ろうと思ったんです。
そしたら、モータードライブが急に動かなくなりました。
名文を考えて、さぁアップしよう。
そしたら動かなくなっちゃったんです。

何か意志をお持ちなんでしょうか。

以前、修理をお願いしたとても親切な修理屋さんに行こうね。と話しかけてみました。
「うん」とも「すん」とも言いません。

あ〜た、怒ってらっしゃるの。

2007年9月24日月曜日

遺伝子



人間のDNAの塩基配列は28億あるらしい。
一方で遺伝子は10万程らしい
遺伝子はDNAで出来てるけど、
DNAの全てが遺伝子じゃない という事らしい。
28億の塩基配列を解明するのは、8000年かかるという計算だそうだ。
しかも解明したからといってすごい事がわかるわけじゃない、説もある。

アルツハイマーの遺伝子欠陥はもうすぐわかるそうだ。
ひそかに期待しておりまっす。

脳に埋め込まれている習性は解明して欲しいなぁ。
なぜ夏が恋しくなるのか知りたいし
合う人と合わない人がいるってのも知ってみたいような、
知りたくないような。

習性は遺伝子の影響なんて聞くと、「僕の習性」を知るのがコワい

テニスで
「君は速いボールはいいけど、スローなボールに対応できないんだよなぁ」
なんて人に嘆息されて、「どうすればいいですか」って聞くと
「しっかり、よく見る、あわてない、確実に」なんて言われて
人生を指摘されたような気になるし・・・

そんな僕の習性が、遺伝子の解明と言う素晴らしい事に役立つなら
「はい、喜んで!」

あ、やっぱり知りたくないか
とんでもなくつまらなん事がわかったりして
「あなたはだめです」になったらいやだし

それにしても「夏」は過ぎてゆくもの  なんですね

2007年9月22日土曜日

カオス



「北京で蝶がはばたくと、アメリカで嵐が起こる」
と言うらしい。
「バタフライ効果」ローレンツさんが言った。

初期値の設定で結果は全然違うものになる。

初期対応を誤るととんでもない社会制裁を受ける、
というこのご時世を象徴しているな。

カオスは混沌
全くの文学表現だと思ってた。
ある席で真面目にそう言ったら、一瞬場が凍り付きました。

ヤッベェ・・・覆水は盆に帰らんぞ。

こりゃいかんと調べましたよ。

カオスの単純な方程式を処理して行くと「自己相似」を繰り返して
どんどん複雑になるらしい。
そしてそれを図形化するとこれがまたまた美しいとか。
世の数学者は魅せられるというから、アーティストだな。

「あ、きっとこうした方がいいな」と思いながら
「ま、これでいいや」というのが最近ありまして。

要するに初期設定値の違い。

ものの見事に、思ってた通りになりませんでした。

カオス理論は人生っぽい、と思うのは僕だけですねきっと。
因に
Xn+1=aXn(1-Xn) (0≦ X ≦1) ( 0≦a≦4)
が方程式でした。

2007年9月16日日曜日

ビオゴン



「このレンズはペニシリンと並ぶ20世紀の偉大な発明である」
とツァイス財団は言ったそうです。
ハッセルブラッドだけのレンズだと思っていたら
最初はコンタックス用で1930年代に脅威のf2.8という明るさで登場。
さらにカールツァイスから50年代に21ミリ、F4.5が出たとか。
東西ドイツのプロパガンダ合戦の道具にも使われたらしい。

T* ティースターレンズ  美人だねぇ
昔から美人は政治に重要な役目を果たすってね。
東西ドイツのプロパガンダ合戦にも使われて当然だわ。



加えてどうですか。この尻の美しさ
写真は暗箱さえあればよく
後は、像を結んでくれるレンズで決まるという基本究極発想ですな。

シャッターはレンズ内、ピントも絞りも目測。自由でいいねぇ。

さて先日、この美人を連れて美男を撮りに行きました。
このビオゴンを扱う人(普通カメラマンと言います)

悪戦苦闘・・・してました。
ポラロイドで確認するにもいちいち
外付けのファインダーを外す
ポラロイドマガジンをつける
一枚切る
待つ
写ってない
あれっ
もう一度
その間、美男は不機嫌になる(いや他がどんどん進行するってな具合)
焦る
また撮る 写らん
えいっままよっ!  で本番撮影。
結果は現像してみなきゃわからん。

「美人は扱いにくいのう」と、二人で嘆息しながら帰って来たのでした。
そいでもって、長旅の後、電車を降りたホームで美人の記念撮影。
「どお?アタシッ」てな具合にナイスバディを披露してくれまして。

「ケツも見せろよ」「いいわよッ」
この時は機嫌が良さそうでしたね。

美人はゲスがお好きッ。

2007年9月12日水曜日

ホテルカリフォルニア



(飛行機、二機いるんですけど小さくてわからない?)

暗く寂しいハイウェイ

涼しげな風に髪が揺れる

コリタス草の甘い香りがほのかに漂い

はるか前方には
かすかな灯りが見える



礼拝の鐘が鳴り
戸口に女が現れた


ようこそホテル・カリフォルニアへ


「ワインを持ってきてくれないか」
「そのようなスピリットは1969年以降一切ございません」

「落ち着いて自分の運命を受け入れるのです
」
「チェック・アウトは自由ですが
ここを立ち去ることは永久にできません」

そのエリオット自身は、「ホテル・カリフォルニア」の歌詞をこう解釈している。

「この曲がヒットした理由のひとつは、
ショービジネスや音楽業界、
カリフォルニアに出て来て一旗あげようとしている連中だけじゃなく、
それ以外の普通の人達にも人は人生の中で、
本当に大切なものを失ってしまう危険がある
と訴えているからなんだ、と思います。
例えば、結婚しても様々なローン(車、家、子供の教育・・・等々)
に追われるうちに夫婦の愛情が失われてしまったりとか、
あるいは、対人関係が上手くいかなくなってしまったりという、
誰の日常にでもある危険性です。
人生はもっと豊かになる、
そんな夢に嵌ってしまって逆に人生を台無しにしてしまうような、
そういうメッセージではないかと、私は思っています。」

西洋も東洋も同じ。

「邯鄲の夢」?

「ホテル・カリフォルニア」
いっけねぇ
チェック・インしちゃったかもしんない。
あ、でもチェックアウトできるって言ってるし、
もはや無我の境地だし・・・

2007年9月9日日曜日

卒業




あのアン・バンクロフトはもうお亡くなりになってしまわれまして・・・
青年ダスティンホフマンの、
これから起きるかもしれない甘美な優雅なドキドキな
なんとも言えないのどがつっかえる言葉に、
アンバンクロフトがワンテンポ早く突っ込んで戻してあげる事で
ますますのどがからからになるダスティンホフマン・・・
うむ、年上女はかくも素晴らしいんじゃろかと・・・
こっちまでドックンドックン
考えてみたら「卒業」の映画の中で使われたサイモンとガーファンクルの曲はどれも示唆に富んでいましたね。

「サウンドオブサイレンス」。「沈黙の音」ですよ。
どういう事ですか・・

People talking without speaking
People hearing without listening

人々は話さないで話す。
人々は聴かないで聞く。
「speak」は話す行為だけ。
「talk」 は「おしゃべりする」で内容を重視。
赤ちゃんは「speak」しても「talk」はしない、らしい。 
「listen」は「耳を傾ける意識を持って聴く」
「hear」 は「意識しなくても耳に入ってくる」
と、あるところに書いてありました。
1963年に作られた曲。ある種の宗教的なところに端を発してるそうですが、現代人の浅はかさを指摘されてる感じ。
意味のない会議、意味のない書類、意味のないIDパス、意味のない報告・・・
人々は酒屋でトークできないし、聴けないし。
談論風発なんて死語かも。

それにしてもアンバンクロフト
個人的にはキャサリンロスの愛くるしさが良かったんですが、
あの映画もアンバンクロフトがいなきゃただの破天荒な映画になってたかもしれません。
いや、世の中には「その場面で必要な人ってのが必要」なんですよね。
世の中がどんどん幼稚になってるぞぉ。
考えてみたら「卒業」という言葉ががそもそも・・・

2007年9月8日土曜日

スカボロー・フェア



「卒業」のキャサリンロスは「あこがれ」という感情を教えてくれました。
ダスティンホフマンは、いつでも歯を磨くためには歯ブラシをジャケットにしのばせておくものだ
というコトを教えてくれました。(あれ、やっぱケースか何かに入れといた方がいいとは思うけど)
彩りのきれいな公園の花畑で迷う、ダスティンホフマンの心情をバックアップしてくれたのは
サイモン&ガーファンクルの「スカボロー・フェア」
イギリスの吟遊詩人たちの歌だったんですね。

スカボローの市へ行くのかい?
パセリ、セージ、ローズマリー&タイム
そこに住むある人によろしく言ってくれ
彼女はかつての恋人だったから。

ずーっと引っかかっていたのは「パセリ、セージ、ローズマリー&タイム」妙に引っかかる単語たち。
やっとわかりましたよ。

象徴的意味に満ちていたんですねぇ。
「パセリ」は今日まで消化の助けになり、苦味を消すと言われており、そして中世の医者はこれを霊的な意味としても捉えた。

「セージ」は何千年もの耐久力の象徴として知られている。

「ローズマリー」は貞節、愛、思い出を表し、現在でも英国や他のヨーロッパの国々では花嫁の髪にローズマリーの小枝を挿す慣習がある。

「タイム」は度胸の象徴であり、歌が書かれた時代、騎士達は戦いに赴く際に楯にタイムの像を付けた。

四種のハーブに言及することで、

二人の間の苦味を取り除く温和さ

互いの隔たった時間を辛抱強く待つ強さ

孤独の間彼を待つ貞節

出来ない仕事を果たそうとする恋人

それらをできた時に、彼女が彼の元に戻ってくることを望んでいる・・・ですと。

何と深い意味があったんでしょう。

それでも僕はただただキャサリンロスの可憐さに引かれていました。

え〜え、もちろん愚直でございます・・・

2007年8月25日土曜日

城之崎にて


その静かな温泉町で、主人公は、蜂やねずみ、いもりなど、小動物の死を次々と目撃します。
散策の途中で気付いた風もないのに動く樹の葉の動きなどから思索し、
生き物の寂しさを感じ、
生きていることと死んでしまっていることとに、
それほど差がないような気分にひたるのでした。

そんな気分になる温泉街でした。
因にここは城之崎じゃないんですが。

言葉のチカラ


なるほど。言葉のチカラか。
と思って近づいてみると鉛筆を持った手が・・・
全部言葉で出来ていた。

そうか、言葉は絵にもなるんだな。

いったいここに何万の言葉が描かれてるんだろうか。
考えたら急に気になって、数え始めようとしたんです。
その時、
「あんた、やめときな」って
声がして、後ろ髪引かれる思いで僕はその場から離れました。
え〜、自己欺瞞です。またまた浅さ露見。

2007年8月24日金曜日

陋巷にあり


何かの書評で「おもろいでぇ」につられて買ったのが約4年前。
積まれる事3年。ひょんな事で読み始めて3ヶ月。
一冊目で挫折。そこを超えたら後は坂を転げ落ちる感じで読破。全13巻。
ものすごく面白い所と説明の長さに飽き飽きする所と・・・

この写真、「命の章」は第十巻。
ビールと海が写ってるはずなんだけど・・。見える・・でしょ?

新潮社の解説の以下の章あたりはむちゃくちゃ面白かった。
片時も本を手放せなかった。時空と思想の広がりとからみ具合に舌を巻いた。

妖女・子蓉の媚術により、陋巷の美少女・妤は次第に病み衰えていく。
満月の強大な魔力を利用する子蓉と巫医の神である祝融の力を借りる異形の南方医・医げいとの、命を賭けた闘いが始まった。
孔子最愛の弟子・顔回は、妤の内に潜む鬼魅を制するために、薬草漬けの酒で一時的に意識を殺し、九泉に向かった……。
冥界に降りた顔回をめぐり、神同士が激しく相争う・・・

祝融娘娘(にゃんにゃん)は神様です。
九泉を体験した顔回はサイキックソルジャーだった・・・のか・・・。
そこまで力をつけたなら、もっと荒唐無稽に暴れてよ。と思う。いやきっと続きがはじまるな。

2007年8月23日木曜日

地下鉄はどこから


品の良いご夫婦でした。

「あなたやっぱりあの方・・・」
「うむ、そうか。やはり・・・」
たったこれだけですが、妙に引っかかってしまいました。
何かが決まったみたい・・・

美女、恐るべし。

いや、
世の中、既に孔子の時代から媚蠱(びこ)は術として存在していたのぢゃ。

「美女」は「媚女」が語源ぢゃ。
昔から権力者は女性で足元が固まり、また崩されたものよ。
あ〜そういうことぉ?

2007年8月22日水曜日

バベルの塔


「バベルの塔」のバベルというのは「混乱させる」という意味の「バーラル」という動詞からきているとか。
バベルの塔は実際に存在したとされており現在のメソポタミアの辺りにその基盤の跡が残っているそうです。

高井戸にもあるぞよ。

2007年8月21日火曜日

バベルの塔



実現不可能な天に届く塔を建設しようとして、崩れてしまったといわれることにちなんで、空想的で実現不可能な計画はバベルの塔ともいわれる。

2007年8月19日日曜日

テニスボーイの憂鬱3


列島は猛暑が続く。屋内で寝ていて熱中症で亡くなる人までいる。まことに恐ろしい。
この日のコートの温度計は39度程である。実際は40度を軽く超えている。
水分を取りすぎるくらい取って・・・コートで修行に励んでいた。
最後は足がつった。しまった。カリウムとマグネシウムが不足した。
人間、水だけじゃだめなのね。

桑田が退団するらしい。最後の試合を家族を呼んで見せたらしい。

いつもニコニコしている桑田の印象がある。
最初の頃はそうじゃなかった・・・と思う。

この日も、すべての事に「こころから感謝している」とある。
家族は号泣したらしい。
「道」を極めようとするおとこの生き様を感じるのは僕だけか。

桑田の「この日」をテレビで見た記憶がない。
どこかがドキュメントしているだろうか。

2007年8月17日金曜日

ホルガ


その人はおもむろにカメラを取り出しシャッターを切っていた。「パチッ」というか、シャッター音に聞こえない音だった。
トイカメラの一種だと思った。でもフィルムがブローニーサイズだ。
その人に聞いた。
「フィルム代高くないですか」
「え?」と聞き返されたような・・・気がする。
フィルム代なんて当たり前じゃないですか。目がそう語っていた。
ホルガ。調べると安っぽい中国製。
どう写るかわからない・・ところがいいらしい。
人と同じじゃイヤ!なのがいいらしい。
生産品質、保証、安心・・・
日本の価値観はこうして崩れていくんだな。
「なんか面白いんです」その人は素敵な笑顔で言い切った。
「時々裏ブタから光線が入り込むんです。」
なんかいい時代になっていきそうだ。

(ホルガの説明)
Holga(ホルガ)は中国製の安価な中判の箱形カメラ。その低忠実性ゆえに、ロシア製カメラのLOMOと並んで芸術的に評価されている。ホルガは1982年に香港で生まれ、その頃に中国でもっとも普及していた120フィルム(ブローニー判)を使用していた。そのカメラは元々、中国の労働者階級の人々の家族写真やイベントを記録することを目的に、安価で大量に販売されることを目指していた。ホルガの語源は広東語の「Ho Gwong」(とても明るい)である。
低品質の材料と単純な凹凸レンズの組み合わされたホルガはLOMOよりも安く販売されたが、その安っぽい造りはしばしば背景のケラレ、ぼけ、光漏れあるいはその他の像のゆがみを生み、同じ機種でも一個一個写り具合が異なるほど品質が劣っていた。これらの効果により時々生じる一風変わった写真は、皮肉なことに国際的なカルト的人気を高め、ホルガの写真はアートと報道の分野で数多くの賞を勝ち取り、トイカメラの愛好者や芸術家などに強く支持されている。

2007年8月16日木曜日

ブエナビスタソシアルクラブ


ドス・ガルデニアス(クチナシの花をふたつ)
クチナシの花をふたつ
君にあげよう
こころからいとしい人よ
どうか枯らさないで
この花は君と僕の
こころだから

でもある夜
クチナシが枯れたら
それは花の嘆き
君が僕を裏切って・・・

キューバ。地球上で一番セクシーな音楽。忘れられたノスタルジー。
ハバナ旧市街は世界遺産だそうだ。
キューバのナットキングコールと称されるイブライムフェレールの声は
ライクーダーのスライドギターでさらに泣かせてくれる。

ヴェンダースと聞いただけでこころが踊る。
「パリテキサス」のライクーダーとのセッションも良かったけれど
このドキュメントを一遍の詩のように編み上げる力量がすごい。

才能が、三つ巴で、柔らかく、やさしく、ぶつかっている感じがする。
そしてささやいている。

「ひとはひとりでは何もできないのさ」


イブライムフェレール。
私の庭にはチューベローズ、バラ、白百合が咲いている。私のこころはとても悲しく重い。このこころの痛みを花々には見せたくない・・・。

2007年8月15日水曜日

太陽がいっぱい


くつろぐ僕へウエイトレスが声をかけた。「ご気分はどうですか?」
僕は答える。「太陽がいっぱい。最高の気分さ。酒をくれ。」

じりじりと焼きつける太陽。
あの夏の日がなかったらきっとここには来なかった。
美しさと不条理を感じたくてここへ来てしまった。
「最高の気分さ。酒をくれ。」



(以下は映画書評から)
ニーノロータの切ない旋律。秀逸なフィルムワーク。そしてカメラワーク。
アランドロンを不気味な魚や天秤などの被写体と一体化させ、ニーノ・ロータのメロディと相まって、深層心理を比喩。
ルネクレマンは、空間を変えずに、時間だけをジャンプさせたりもしているが、これが自然なので流れを乱しておらず、ヌーベルバーグの極端なジャンプカットよりも興味深い。

ドカエのカメラワークもまた素晴らしく、斬新で巧妙な構図も多数見受けられる。
面白いのが、前景と後景でそれぞれ異なるシチュエーションを同時に見せるテクニック。
前景では男と女がいちゃついていて、後景では内気に何もしないでいるアランドロンの表情を捉える。

観客の感情を振るわせて見事である。

 ロー・アングルも多用して、カメラをわざと壁に近付けて奥行きを出す演出も素晴らしいが、撮らなくてもストーリーに支障をきたさないようなものなら撮ってないことにも注目してもらいたい。
例えば殺人シーンではナイフを刺す瞬間は撮らずに、ナイフのアップショットだけで迫力の映像に仕上げているし、殺した男を運ぶシーンでは足しか撮っていない。構図だけでもサスペンスを盛り上げているのだから頭が下がる。

ラストのパラソルの構図も印象的である。最高の気分でくつろいでいるアランドロンを、素直にカメラは捉えてはいない。

2007年8月14日火曜日

美人秘書


「美人秘書」うん、わかりやすいネーミングだ。近くにこう呼ばれている方がいる。「な」さん。
もう何十年も「美人秘書」をやっている。らしい。
先日話していてハッと気がついた。まず気取らない。気さく。よく笑う。話をそらさない。人の話をよく聞く。合いの手が上手い。ショートヘア。世の中の大概の事がわかってらっしゃるので「そんな事言っちゃってぇ」が上手い。話がどんどん盛り上がる。
そしていつの間にか裸にされているのである。その時こころはすっかりオープンマインド。あの境地に達したいなぁ。
「話」は「術」なんである。気取った自己中心の会話はつまらないじゃない。あれと同じ。「話が上手」と簡単にいうけれどそれは「術」なのだ。その場の人に瞬時に掛ける事ができる人は稀である。「美人秘書」はその点上手い。この人の前では何事も秘密にして置く事は不可能なんじゃないかと思う。そして威圧感がない。
「美人秘書」・・・。いわれはこのへんにあるのかも。

2007年8月13日月曜日

リビドー


本屋さんにイスを置いたら、本を買うどころか座り読みされて終わってしまう。という考え方と、本を買う確率は来店数に正比例するから多く来てもらう方が良い。という考え方がある。僕にとってそんな事はどうでもいい事だと思いながら、イスを眺めていたのか、女性を見ていたのか、女性の足元のフロイトが見えたのか、全ては定かでない。表題のような気分があった事は確かだ。

2007年8月12日日曜日


僕の前に道はないけれど、僕の後ろにも道はない。なんてひねくれた事を考えていたのは雨のせいでしょう。遠い風景はなんだか何かを思い出させるなぁなんてしっとりした気分。あ、ただそれだけでございます。

逆もまた「新」なり


交差点でした。前にいる男性の背中を見るともなしに見てました。何か変なようなこれでいいような・・。不思議な感覚に襲われてました。「いいんだよぉ」とビールのCMの声と「違うんだよぉ」という声が交差してました。この男性の背中のマークはあの「ラコステ」。ポロシャツをしっかり上のボタンまで止めて着ているだけでした。何かかっこよかった。カメラ持ってなかったので携帯でシツレイと声かけて撮りました。発想力?

2007年8月11日土曜日

銀座の恋の物語


「お待たせッ」「いや、僕もたった今着いたところ」「何食べたい?」「えーとね、ほらあそこの後ろのあのへんのあんなとこをまがって抜けてそいでもってちょっと走ったとこに素敵なラーメン屋さんがあるの。そこがいいなぁ」てなわけでその通りにまがって走ってくねって着いたラーメン屋さん。ひっそりしていていい感じ。賑わってないラーメン屋なんて、と思ったら大間違い。静謐な感じのお店に二人。彼女は「まず、ビールね。あ、それから、おしんこ」なんていかにも慣れてる感じ。素敵な彼女のスーツ姿。そして静かなラーメン屋さん。
ギャップが素敵。ユニクロにゃマネできないだろ。(これ難しいか?)
銀座な女性はこうでなくっちゃ。赤い車の横に立ってる女性を見て浮かんで来たつかの間の物語。

失恋レストラン


「アマルフィ」おぅ、なんて素敵な名前なんだろう。世界遺産にも登録された南イタリア、アマルフィ海岸。全長40Kmにも及ぶその海岸を全部歩いてたどりついたのがここ。リストランテ「アマルフィ」

全てを見渡すと君の心が透けてみえるようだよ。こんなにも心を開いて僕は話しているというのに・・・君の心はまるで遠い星をみているようじゃないか。なんていうところまで来てしまったんだ。こんなに中途半端なキモチのままじゃ引き返せない。早くワインを持ってきておくれ。それにしてもさっきから心が渇く。いやカラダが乾いて行く。皮膚が乾いて行く。恋はもっとしっとりならなきゃいけないんじゃないのかい。でもここに来るとみんな乾いてしまうらしい。心までも乾いてしまうらしい。
真ん中の霧がわかるかい。君と僕の心の霧のようにうっすらと吹き付けられているこの霧がわかるかい。

こんなにも精緻なノズルで吹きつけられる美しい霧。さぁもうこれで遊びは終わりにしよう。いったい君はどれだけ食べれば気が済むんだい。もう帰らないとテニスに行けないじゃないか。僕のキモチは焦ってるんだ。早くしないと江の電に乗り遅れてしまいそうだ。
教授。今日はほんとうにご馳走さまでした。このお礼は新橋の焼き鳥屋で如何でしょうか。